斐姫
表示
斐姫(あやひめ、1852年(嘉永5年) - 1929年(昭和4年)5月9日[1])は、第14代徳島藩主・蜂須賀茂韶の正室。父は蜂須賀隆芳。
生涯
[編集]1869年(明治2年6月)に蜂須賀茂韶と婚姻。1872年(明治5年)から1873年(明治6年)まで茂韶は斐を同伴して自費による海外留学をした[3]。
1874年(明治7年)4月、茂韶と離婚。後に茂韶は1881年(明治14年)に徳川慶篤の長女・随子を継室に迎えた。
斐子は1929年(昭和4年)5月9日に死去。墓所は東京都台東区にある海禅寺。法名は宝樹院華香妙果大姉。
脚注
[編集]- ^ 墓碑銘。なお、『蜂須賀茂韶公隠れたる功績』に大去と記載されているが、これは離婚を指す。『平成新修華族家系大成』を参照。
- ^ 2017年,実業之日本社『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』
- ^ “蜂須賀家文書 仮目録”. 徳川黎明会. 2019年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 『蜂須賀茂韶公隠れたる功績』露木亀太郎、1937年。