斎藤賞資
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斎藤 賞資(さいとう しょうすけ、1874年(明治7年)9月28日[1] - 没年不明)は、日本の弁護士、日本興業銀行副支配役[1][2]。族籍は島根県平民[1]。
人物
[編集]島根県美濃郡二条村大字桂平(現・益田市)出身。斎藤真佐加の三男[1]。1899年、第二高等学校第一部法科を卒業[3]。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業[1][4]。司法官試補を拝命し、横浜地方裁判所に勤務したが間もなく官を辞し、東京で弁護士並びに特許弁理士の事務に従事する[1]。
後に不動貯金銀行に入り、貸付課長、名古屋・日本橋各支店支配人、本店検査課長等をつとめた[1]。後に日本興業銀行に入り、同行副支配役に挙げられる[1]。住所は東京市本郷区菊坂町[1]。
家族・親族
[編集]- 斎藤家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第5版』さ56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ 『銀行会社職員録 7版』銀行6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ 『第二高等学校一覧 自昭和9至10年 附録 卒業生氏名』卒業生氏名 明治三十二年13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ 『明治国民善行表彰録』122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ a b 『大正名家録』ネ4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第19版 上』さ57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 武田仁恕編『明治国民善行表彰録』博文館、1912年。
- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 日本興業通信社編『銀行会社職員録 7版』日本興業通信社、1918年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1926年。
- 第二高等学校編『第二高等学校一覧 自昭和9至10年 附録 卒業生氏名』第二高等学校、1927 - 1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第19版 上』人事興信所、1957年。