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斎藤義典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斎藤 義典
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県館林市[要出典]
生年月日 (1978-07-10) 1978年7月10日(46歳)
身長
体重
182 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

斎藤 義典(さいとう よしのり、1978年7月10日 - )は、群馬県館林市[要出典]出身の元野球選手投手)。左投左打。

来歴

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前橋工業高時代、1年生の秋からエースとして1995年センバツでベスト8・1996年夏の甲子園ではベスト4に進出。140km/hを超える伸びのあるストレートと斎藤の代名詞とまで言われた鋭く縦に大きく割れるカーブ、スライダーとフォークを武器に甲子園を沸かせた。

第78回大会は左投手が非常に素晴らしい逸材が揃った大会だったが、文句なしにNo.1の実力と成績を残し、甲子園大会のベストナインをスポーツニッポンの記者が選ぶ、「スポニチベストナイン」にも投手部門第一位にも選ばれその評価を更に上げた。

全日本高校選抜にも選出され、アメリカロサンゼルスで行われた四カ国親善大会に日本代表のエースとして出場し、最速147km/hの球速を記録するなどして活躍。世界大会でも優勝を果たす。

1996年のドラフト会議で、近鉄バファローズ(当時)からドラフト5位指名を受けたが、本人の地元関東の球団希望や、左手中指の怪我などが理由で入団を保留。やむを得ず近鉄は斎藤抜きで新入団選手の発表を行い、その後も近鉄側は説得を何度も続けたが斎藤は入団を拒否し続け、結局契約には至らなかった。

その後、周囲の強い勧めにより1997年から本田技研に入社をするが、翌1998年にかねてから本人が希望をしていた富士重工業に移籍し、1年目から補強選手に選ばれるなど非凡な才能を見せる。都市対抗野球大会などでも活躍を見せ、2002年まで投手陣の主軸として約5年間プレーした。

関連項目

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