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文襄敬皇后元氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元氏(げんし、生没年不詳)は、東魏の権臣高澄の妻で、東魏の孝静帝の姉[1]北斉が建てられ、高澄が文襄帝と追号されるとともに文襄皇后(ぶんじょうこうごう)の号を贈られ、死後に敬皇后(けいこうごう)とされた。本貫河南郡洛陽県

経歴

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清河王元亶の娘として生まれた。北魏孝武帝のとき、馮翊公主に封ぜられ[2]、また高澄に嫁いで嫡男の高孝琬と娘2人をもうけた。

高澄と死別後、550年に亡夫の弟の高洋(文宣帝)によって北斉が建てられると皇后の号を贈られ、静徳宮に住んだ。高孝琬は河間王に、長女は楽安公主に、次女も公主に封じられた。

555年、精神状態が悪化した文宣帝は元氏の財産を奪い、「我が兄(高澄)は昔、我が妻を犯した。私は今、その仕返しをするのだ」と言って、元氏を犯した。文宣帝は親疏を問わず、高氏の家族の女性たちに目の前で乱交させた。葛を綱にして、魏の安徳公主(清河王元懌の娘で元氏のおば、もと孝武帝の愛人)を馬乗りにさせて人に引かせ、また胡人に命じて辱めさせた。文宣帝は自らそのさまを見せて、臣下たちに示した。

元氏は武平年間に死去し、高歓の義平陵に陪葬された[3][4][5]

脚注

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  1. ^ 氣賀澤 2021, p. 147.
  2. ^ 氣賀澤 2021, pp. 147–148.
  3. ^ 氣賀澤 2021, p. 148.
  4. ^ 北斉書 1972, p. 125.
  5. ^ 北史 1974, p. 520.

伝記資料

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参考文献

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  • 氣賀澤保規『中国史書入門 現代語訳北斉書』勉誠出版、2021年。ISBN 978-4-585-29612-6 
  • 『北斉書』中華書局、1972年。ISBN 7-101-00314-1 
  • 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4