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文室忠光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

文室 忠光[1](ふんやの ただみつ)は平安時代中期の武士。文室氏の一族。生没年不明。

経歴

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筑前国志摩郡の地元豪族。寛仁3年(1019年)、刀伊の入寇にて武功を立てる。4月7日に刀伊勢が筑前沿岸に姿を現し、筑前国怡土郡、志摩郡、早良郡を襲う。それらを志摩郡にて死者112人拉致被害者435人牛馬74頭の被害を受けるが撃退。太宰府の兵とともに交戦し、賊徒撃退に大いに貢献した。彼の弓矢に命中する賊徒が多くあったとして、合戦後にその首級や戎具進上があった。寛平の韓寇で活躍した対馬守文屋善友長保3年(1001年)、太宰府府官の傔杖・文屋佐親など彼らと親族関係にあったとする説がある[2]

系図

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  • 父:不詳
  • 母:不詳
  • 子:不詳

脚注

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  1. ^ 恵光とも
  2. ^ 関幸彦『刀伊の入寇』(中央公論新社、2021年)