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持永堯民

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持永 堯民(もちなが たかひと[1]1935年昭和10年)1月9日[2] - 2019年平成31年)4月8日)は、日本官僚自治事務次官を務めた。

人物

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宮崎県出身[1]東京大学法学部。1957年(昭和32年)に自治省へ入省。1961年(昭和36年)、選挙局選挙課[3]。1962年(昭和37年)、大分県統計調査課長[3]。1964年(昭和39年)、大分県医務課長。1967年(昭和42年)、大分県総務部財政課長。1985年(昭和60年)、大臣官房審議官(財政担当)。1986年(昭和61年)、自治大学校長。

同年9月、大臣官房長となり、1989年(平成元年)6月30日に財政局長。1990年(平成2年)より自治事務次官に就任。翌1991年(平成3年)免官となる[4]自治体衛星通信機構理事長[4]日本宝くじ協会理事長を経て[5]、1999年(平成11年)6月10日、地方公共団体金融機構(地方公営企業等金融機構及び公営企業金融公庫総裁[6]を含む)に在籍して要職に就いた。2004年(平成16年)に地方公共団体金融機構から離職した[要出典]。2010年(平成22年)、宮城県大崎管内の圃場整備を巡る農業農村整備懇話会へ有識者として出席し[7]、その後は地方財務協会会長やマイナンバー情報管理士協会名誉顧問を務めている[8][9]。また、日本倶楽部会員でもあり同理事(のちに副会長)を務めた[10]

2006年、瑞宝重光章受章[11]

2019年4月8日、肺炎のため横浜市内の病院において死去した。84歳没[1][12]。叙正四位[13]

親族

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父は内務厚生官僚で北海道庁 (1886-1947)長官や衆議院議員を務めた持永義夫、兄は厚生官僚で社会保険庁長官衆議院議員を務めた持永和見、甥は経済産業官僚持永哲志、子に国土交通官僚で、京成電鉄取締役の持永秀毅がいる。[14]

脚注

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  1. ^ a b c 持永堯民氏死去(元自治事務次官)」『時事ドットコムニュース』2019年4月8日。2019年4月10日閲覧。
  2. ^ 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.542
  3. ^ a b 『自治省名鑑 昭和63年版』時評社、1988年4月発行、5頁
  4. ^ a b 井上善雄. “宝くじは何故継続拡大するのか”. 全国市民オンブズマン連絡会議. p. 6. 2019年4月10日閲覧。
  5. ^ 地域創造レター”. 地域創造 (1997年5月10日). 2019年4月10日閲覧。
  6. ^ 第154回国会 財務金融委員会 第13号(平成14年4月23日(火曜日))”. 衆議院 (2002年4月23日). 2019年4月10日閲覧。
  7. ^ 平成22年度 農業農村整備懇話会が開催されました。”. 水土里ネットみやぎ. 宮城県土地改良事業団体連合会 (2010年11月15日). 2019年4月10日閲覧。
  8. ^ 政治行政の目的意識”. 立命館土曜講座. 立命館大学 (2013年). 2019年4月10日閲覧。
  9. ^ 協会概要”. マイナンバー情報管理士協会. 2019年4月10日閲覧。
  10. ^ 日本倶楽部会員総会開催される」(PDF)『日本倶楽部会報』第5号、日本倶楽部、2015年7月、1頁、2022年2月3日閲覧 
  11. ^ 「2006年秋の叙勲 中綬章以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2006年11月3日朝刊
  12. ^ 持永堯民氏が死去 元自治事務次官”. 日本経済新聞 電子版. 2019年4月9日閲覧。
  13. ^ 『官報』7号、令和元年5月15日
  14. ^ 官僚事典 海上保安庁人事課長 持永秀毅(もちながひでき)さん」『宮崎日日新聞』2012年7月23日。2019年4月10日閲覧。