手柄山仁太夫
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年3月) |
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基礎情報 | ||||
四股名 | 手柄山 仁大夫 | |||
出身 | 筑前国 | |||
身長 | 192cm | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 小結(江戸相撲) | |||
生涯戦歴 | 2勝4敗10休(5場所、江戸相撲) | |||
幕内戦歴 | 2勝4敗10休(5場所、江戸相撲) | |||
データ | ||||
初土俵 | 宝暦4年5月場所(大坂相撲) | |||
入幕 | 宝暦4年5月場所(大坂相撲) | |||
引退 | 宝暦15年5月場所(大坂相撲) | |||
備考 | ||||
2017年8月4日現在 |
手柄山 仁大夫(てがらやま じんだゆう、生没年不詳)は、筑前国(現:福岡県)出身の元大相撲力士。最高位は小結。
経歴
[編集]筑前国出身。竹島甚四郎の弟子。大坂相撲で初土俵を踏み、金碇仁大夫の初名で宝暦4年5月場所にいきなり関脇に附け出され、以降幕内上位を維持する。宝暦8年(1758年)、江戸相撲への進出と前後して姫路藩の抱えとなり、改名。江戸相撲では宝暦12年3月場所で小結に昇進したが、同場所限りで江戸相撲を去る。宝暦15年(1765年)、大坂相撲5月場所を最後に引退。程なくして没した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 上巻』ベースボール・マガジン社、1956年6月1日。