手島透
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てしま とおる 手島 透 | |
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生誕 |
1925年9月6日 日本愛知県 |
死没 | 2013年6月14日 |
国籍 | 日本 |
教育 |
学士(工学) 名誉博士 |
出身校 | 東京電機大学 |
職業 | 実業家、経営者 |
活動期間 | 1949年 - |
著名な実績 | 液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化 |
受賞 |
紫綬褒章(1985年) 大河内記念技術賞 |
手島 透(てしま とおる、1925年(大正14年)9月6日 - 2013年(平成25年)6月14日)は、日本の技術者、実業家、経営者、名誉博士、元スタンレー電気代表取締役社長。
来歴
[編集]1925年(大正14年)愛知県に生まれる。東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業後、アイヒッツ研究所代表取締役社長、神奈川科学技術アカデミー研究顧問、公文教育研究会取締役、スタンレー電気技術研究所所長、スタンレー電気代表取締役社長を歴任。
液相式高輝度赤色LEDの開発・実用化やG.H型フルカラーLCD技術の開発・実用化の功績で知られる[1]。
経歴
[編集]- 1949年 電機工業専門学校電気通信科(現・東京電機大学)を卒業、真空工業(株)入社
- 1950年 スタンレー電気入社(自動車の電球設計)
- 1954年 東京電機大学工学部第二部電気工学科卒業
- 1958年 スタンレー電気名古屋支店長
- 1962年 スタンレー電気秦野機器工場長
- 1967年 スタンレー電気技術研究所長
- 1982年 スタンレー電気取締役
- 1984年 スタンレー電気代表取締役社長
- 2002年 スタンレー電気退社
- 2004年 アイ・ヒッツ研究所を設立[2]
- 2011年 東京電機大学より名誉博士の称号が贈られる[3]。
- 2013年 死去
受賞
[編集]- 1985年 紫綬褒章
エピソード
[編集]- 西澤潤一の業績を称えて宮城県仙台市青葉区に立てられた「光通信発祥の地」の発祥碑と案内標識は、手島によって立てられたものである。なお、同じものが半導体研究振興会(仙台市青葉区荒巻)にも立てられている[5]。