房堅
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房 堅(ぼう けん、生没年不詳)は、中国の北魏の官僚・軍人。字は千秋[1]。本貫は清河郡繹幕県[2]。
経歴
[編集]房霊賓の従弟にあたる。若くして才能で知られた。北方に移されて平斉郡の民とされた。太和初年、孝文帝により秘書郎に抜擢され、司空諮議参軍・斉州大中正に転じた。孝文帝が親政を開始すると、諸州の中正に命じて各自の知る人物を推挙させたが、房堅と幽州中正の陽尼はそれぞれ自分の子を推挙した。孝文帝は晋の祁奚の故事[3]を思い起こして、「今に二奚あり」と評した。濮陽郡太守として出向した。宣武帝のとき、再び司空諮議参軍となり、立忠将軍の号を加えられた。死去すると、南青州刺史の位を追贈された。諡は懿といった[1]。
子女
[編集]- 房祖淵(長子、羽林監。章武王元融に従って葛栄を討ち、陣没した。安東将軍・済州刺史の位を追贈された)[1]
- 房祖皓(長水校尉。後に南朝梁の将を九山で討ち、戦没した。撫軍将軍・兗州刺史の位を追贈された)[1]
脚注
[編集]伝記資料
[編集]- 『魏書』巻43 列伝第31
参考文献
[編集]- 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。