戸馳島
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(戸馳村から転送)
戸馳島 | |
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三角港から望む戸馳島(2017年1月3日) | |
所在地 | 日本(熊本県宇城市) |
所在海域 | 八代海 |
座標 | 北緯32度36分3秒 東経130度29分47秒 / 北緯32.60083度 東経130.49639度座標: 北緯32度36分3秒 東経130度29分47秒 / 北緯32.60083度 東経130.49639度 |
面積 | 6.94 km² |
海岸線長 | 16.5 km |
最高標高 | 73 m |
プロジェクト 地形 |
とばせむら 戸馳村 | |
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廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 三角町、戸馳村、郡浦村、大岳村 → 三角町 |
現在の自治体 | 宇城市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 熊本県 |
郡 | 宇土郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,056人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 三角町、郡浦村、大矢野町 |
戸馳村役場 | |
所在地 | 熊本県宇土郡戸馳村(大字なし) |
座標 | 北緯32度36分3.4秒 東経130度29分38.4秒 / 北緯32.600944度 東経130.494000度 |
ウィキプロジェクト |
熊本県宇城市に属する。2005年の合併以前は宇土郡三角町の一部であった。本項では同区域に所在した宇土郡戸馳村(とばせむら)についても述べる。
概要
[編集]八代海の北部に位置する有人島。北側にあるモタレノ瀬戸を挟んで宇土半島が、西南側にある蔵々瀬戸を挟んで維和島(上天草市)がある[1]。
江戸末期に島南部を干拓し、片島新地が形成された[2]。1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行に伴い、戸馳村が単独で自治体を形成。1955年(昭和30年)2月1日に戸馳村が三角町・郡浦村・大岳村と合併して三角町が発足。同町の大字となった[3]。1973年5月に落成した戸馳大橋によって、九州と陸続きとなった[1][2]。2005年(平成17年)1月15日、三角町が不知火町・下益城郡松橋町・小川町・豊野町と合併して宇城市が発足。同市三角町戸馳となる[4]。
施設
[編集]- 宇城市立戸馳小学校 - 2005年に閉校。
交通
[編集]道路
[編集]水上交通
[編集]- 野崎港
三角町営の交通船が三角港との間で運航されており、最大3本の路線があった。2000年代に入っても博洋丸一隻のみ就航中であったが、2013年6月に路線廃止となった[6]。
観光名所
[編集]産業
[編集]島嶼特有の海洋性気候を活かし、農水産業が発展してきた[9]。1973年の戸馳大橋の開通以降、キンギョソウ、マーガレットなどの花卉栽培が盛んとなった[2]。島内の農業法人「宮川洋蘭」の転作を機に洋ラン栽培が広がり、「洋ランの島」と呼ばれている[10]。また、島の北東部ではミカンや甘夏の栽培も行われているほか、西南部でアサリやクルマエビの養殖も行われている[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c “とばせじま【戸馳島】熊本県:宇土郡/三角町/戸馳村”. 日本歴史地名大系 (平凡社).
- ^ a b c “とばせじま【戸馳島】熊本県 宇城市”. 新版 角川日本地名大辞典.
- ^ “みすみまち【三角町】熊本県:宇土郡”. 日本歴史地名大系 (平凡社).
- ^ “うきし【宇城市】熊本県 宇城市”. 新版 角川日本地名大辞典.
- ^ “発展への架け橋”. 広報うき. (2019年5月1日).
- ^ “博洋丸・写真で見る船”. よかとこBY. 2022年1月16日閲覧。
- ^ 若宮海水浴場 熊本県公式観光サイト(2021年9月12日閲覧)
- ^ “はまんすかいづか【浜ン洲貝塚】熊本県:宇土郡/三角町/戸馳村”. 日本歴史地名体系 (平凡社).
- ^ a b “戸馳島”. 日本大百科全書(ニッポニカ).
- ^ “(けいざい+地域発)洋ランの島、父子の挑戦「もうかる農業」、次は加工品で”. 『朝日新聞』朝刊. (2017年4月12日) 2021年9月12日閲覧。