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戸田忠翰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
戸田忠翰
戸田忠翰の墓(合葬墓碑)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦11年8月29日1761年9月27日
死没 文政6年9月28日1823年10月31日
改名 秀太郎(幼名)、忠翰、粛亭(法号)
戒名 大仙院殿前従五位下越州大守智岳聡叡大居士
墓所 栃木県宇都宮市英巌寺
官位 従五位下能登守越前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
下野宇都宮藩
氏族 戸田氏
父母 父:戸田忠寛、母:本多正珍娘・連子
兄弟 忠翰田中忠舜永井尚佐正室
養兄弟:利尾堀直方正室
正室:松平忠順娘・結子
側室:菊、歌、袖、久米、皆、染
忠延、亀都、光、栄寿院、岡部忠直、朝、鑑、忠温、恭
養子:忠孝
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戸田 忠翰(とだ ただなか)は、江戸時代中期から後期にかけての大名下野国宇都宮藩主。宇都宮藩戸田家8代。官位従五位下能登守越前守

生涯

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宝暦11年(1761年)8月29日、先代藩主(当時は肥前島原藩主)・戸田忠寛の長男として江戸で生まれる。安永7年(1778年)12月16日に従五位下・能登守に叙位・任官する。寛政10年(1798年)6月21日の父の隠居により家督を継いだ。

文化元年(1804年)8月7日に越前守に遷任する。しかし病弱であり、藩政に関しては忠寛時代の相次ぐ移封などで財政難であった[1]。文化6年(1809年)には持病の肩から手にかけての痛みがあったという。このため忠翰は治世での業績には乏しいが、反面西洋の器物を好み、南蘋風の絵を良くした。森蘭斎に師事して、師の画譜『蘭斎画譜後編』(享和元年(1801年)刊)に序文を寄せ、「桃寿帯鳥図」などの絵を残している[1]

文化6年(1809年)3月からは忠翰が病に倒れて藩政を執ることが困難になったため、文化8年(1811年)4月21日に家督を次男の忠延に譲って隠居した[1]。隠居後は深川江戸屋敷で静かに余生を過ごした[1]

文政6年(1823年)2月に先立った忠延の後を追うように、同年9月28日に死去した。享年63。

系譜

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父母

正室

側室

  • 久米

子女

養子

絵画作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・落款 備考
蓮ニ翡翠図 絹本著色 1幅 82.5x33.7 個人蔵 1784年(天明4年) 増山正賢賛。「墨竹図」(上野記念館蔵)とともに現在知られる最も早い作例。
白鷺鷲追兎図 絹本著色 1幅 111.5x50.2 神戸市立博物館 1785年(天明5年) 落款「天明乙巳初秋得写/撃鷲襲潜兎図蘭徳斎」/印章「月印池」朱文方印・「藤氏忠翰」白文方印・「絲□」朱文瓢印 初期の作
叭々鳥図 絹本著色 2幅 各90.5x30.0 栃木県立博物館 1787年(天明7年) 落款「天明七丁未 蘭徳斎写」/朱文方印1・白文方印1(ともに印文不明)
松に白鷹図 1幅 長崎県立美術博物館 1790年(寛政2年) 落款「寛政庚戌季秋藤原忠翰写」/「含英堂」白文方印・「隹周」朱文方印・「華前酒意」朱文長方印
雪竹兎図 紙本墨画 1幅 120.2x46.4 板橋区立美術館 1796年(寛政8年) 落款「寛政丙辰写 藤含英」/「藤原」朱文方印・「忠翰埜印」白文方印・「足吝」朱文長方印
鷹に小禽図 絹本著色 1幅 106.1x41.0 神戸市立博物館 1796年(寛政8年) 落款「寛政丙辰孟冬藤含英写」/「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印
風牡丹図 献本墨画金彩 1幅 103.4x33.7 個人蔵 1798年(寛政10年) 落款「寛政戊午仲冬藤含英写」/「忠翰」白文方印・「惟周」白文方印・「華備春林月満秋」朱文長方印
瓶花図 絹本著色 1幅 112.2x37.4 栃木県立博物館 1801年(寛政13年) 落款「寛政辛酉孟春得写南蘋沈氏筆法藤含英」/「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「魚龍潜躍□文」朱文方印
桃綬帯鳥図 絹本著色 1幅 100.0x42.6 栃木県立博物館 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「含春澤裂秋風」朱文長方印
花鳥図 2幅 個人蔵 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印
岩浪仙禽図(岩上鶴図) 絹本著色 1幅 111.9x43.2 個人蔵 1801年(享和元年)以前 「藤原」白文方印・「忠翰埜印」白文方印 丹頂鶴を忠翰、竹石と波を蘭斎が描いた珍しい師弟合作。
芭蕉に小禽図 絹本著色 1幅 120.2x44.7 上野記念館 1803年(享和3年) 落款「享和癸亥冬十又一月写/玉霞楼書屋藤含英」
雨中鶏図 大英博物館
柘榴に文鳥図・柘榴に碧鳥図 絹本著色 2幅 各94.8x31.3 世田谷区立郷土資料館 1805年(文化2年)箱書 箱書「文化二年四月下旬/戸田越前守忠翰筆」
白鸚鵡図 絹本著色 1幅 95.6x37.5 個人蔵 1805年(文化2年) 落款「乙丑春写 藤含英」/「鶴洲」白文方印・「忠翰埜印」白文方印・「含春澤裂秋風」朱文長方印 有年紀作品では本作より降る忠翰の作品は確認されていない。

脚注

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  1. ^ a b c d 坂本 2011, p. 73.

参考文献

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  • 橋本慎司「南蘋派画人としての宇都宮城主戸田忠翰について」『歴史と文化』6号、栃木県歴史文化研究会、1997年8月31日、49-61頁。 
  • 坂本俊夫『宇都宮藩・高徳藩』現代書館〈シリーズ藩物語〉、2011年9月。ISBN 978-4-7684-7128-9 
  • 佐々木英理子「戸田忠翰 白鸚鵡図」『国華』第1432号、2015年2月20日、17-21頁、ISBN 978-4-02-291432-3 
  • 栃木県立博物館編集・発行 『第一一四回企画展 宇都宮市市制一二〇周年記念 宇都宮藩主 戸田氏―その歴史と文芸―』 2016年4月29日、ISBN 978-4-88758-087-9

関連項目

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