戸沢正産
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦8年(1758年) |
死没 | 安永9年10月7日(1780年11月3日) |
改名 | 孝次郎(幼名)→正産 |
戒名 | 宿仙院徳巌慈本 |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺瑞雲院 |
官位 | 従五位下、上総介、能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 出羽国新庄藩主 |
氏族 | 戸沢氏 |
父母 | 父:戸沢正諶、母:心涼院 |
兄弟 | 正産、正良、松平乗友正室のち戸田忠喬正室 |
妻 | 正室:松平頼恭の娘 |
子 | 養子:正良 |
生涯
[編集]宝暦8年(1758年)(異説として宝暦10年(1760年)6月23日)、第5代藩主・正諶の長男として生まれる。明和2年(1765年)、父の死去により家督を継ぐ。安永4年(1775年)閏12月11日、従五位下、上総介に叙任する。
若年のため、家老の北条六右衛門によって「安永の地押」という倹約を中心とした藩政改革が行なわれた。また、藩校・明倫堂が創設されている。安永9年(1780年)10月7日(異説として10月3日)、瀬見温泉で入浴中に発病して死去した。享年23。実子がなく、弟の正良が養子として跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
- 戸沢正諶(父)
- 心涼院 ー 側室(母)
正室
- 松平頼恭の娘
養子
- 戸沢正良 ー 実弟