戸沢正勝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保4年(1719年) |
死没 | 延享2年8月14日(1745年9月9日) |
改名 | 六三郎(幼名)→正勝 |
戒名 | 威箭院重山両透 |
墓所 | 東京都港区三田の常林寺瑞雲院 |
官位 | 従五位下、下野守、上総介 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 出羽国新庄藩主 |
氏族 | 戸沢氏 |
父母 | 父:戸沢正庸、母:不詳 |
兄弟 | お虎、正賀、正勝、正諶、庸祝、正備、正愛、はん、せの |
妻 | 正室:大久保忠胤の養女(安藤信尹の娘) |
子 | 養子:正諶 |
生涯
[編集]享保4年(1719年)(異説として享保7年(1722年)5月3日)、第3代藩主・正庸の三男として新庄で生まれる。父の養子だった正成が死去したため、享保19年(1734年)12月に世子に指名され、享保20年(1735年)12月に従五位下、下野守に叙任する。元文2年(1737年)12月6日、父の隠居により家督を継ぎ、上総介に遷任する。この時、弟の正諶に7000石を分与している。
延享2年(1745年)8月14日に死去した。享年27。子が無く、正諶が養子として跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
- 戸沢正庸(父)
正室
養子
- 戸沢正諶 ー 実弟