戸来村
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(戸来 (大字)から転送)
戸来村 | |
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廃止日 | 1955年7月29日 |
廃止理由 |
新設合併 戸来村、野沢村(一部) → 新郷村 |
現在の自治体 | 新郷村 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 青森県 |
郡 | 三戸郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 116.6 km2. |
総人口 |
4,726人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
倉石村、野沢村、三戸町 上北郡十和田町、三本木市 秋田県 |
戸来村役場 | |
所在地 | 青森県三戸郡戸来村大字戸来字館神81番地[1] |
座標 | 北緯40度27分57秒 東経141度10分24秒 / 北緯40.46578度 東経141.17339度座標: 北緯40度27分57秒 東経141度10分24秒 / 北緯40.46578度 東経141.17339度 |
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戸来村(へらいむら)は、かつて青森県にあった村である。現在の同県三戸郡新郷村大字戸来。
なお本項では、合併後の新郷村にある大字戸来についても述べる。
歴史
[編集]- 紀元前3世紀(縄文時代) - 字野月、字大久保、字赤坂森、字女ヶ崎、字荻沢、字田茂代に散布地跡、字獅子神に集落跡、字向落合に配石遺構がみられる[2]。
- 12世紀 - 14世紀(鎌倉時代)、糠部郡に戸来郷(へらいのごう)として存在した[3]。
- 1298年1月4日(永仁5年11月21日) - 『五戸郷々検中注進状』に「耕地5町8反2合、うち公田3町4反4合」の旨の記述[3]。
- 1634年(寛永11年) - 糠部郡が4分割し、戸来村は三戸郡に属する。幕末までは知行地である[3]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により三戸郡戸来村が村制施行し、戸来村が発足。
- 1955年(昭和30年)7月29日 - 三戸郡野沢村(一部)と合併して新郷村を新設し、自治体として消滅。新郷村大字戸来となる。
地域
[編集]教育
[編集]小学校
[編集]- 戸来村立戸来小学校
- 戸来村立川代小学校
- 戸来村立小坂小学校
- 戸来村立金ヶ沢小学校
- 戸来村立田茂代小学校
中学校
[編集]- 戸来村立川代中学校
- 戸来村立小坂中学校
- 戸来村立戸来中学校
※合併後の廃統合については「新郷村#教育」を参照。
郵便
[編集]- 戸来郵便局 - 1882年(明治15年)、戸来ノ内金ケ沢郵便局として開設。
大字戸来
[編集]新郷村を構成する2つの大字のうちの一つである。村の北部に位置しており、十和田市との境界となっている。
地域を東西に貫く国道454号沿いに集落が形成されている。
戸来 | |
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北緯40度27分24秒 東経141度5分25秒 / 北緯40.45667度 東経141.09028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 新郷村 |
人口 | |
• 合計 | 1,915人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
039-1801 |
市外局番 | 0178[5] |
ナンバープレート | 八戸 |
地理
[編集]字
[編集]99の小字がある。
- 赤坂森(あかさかもり)
- 雨池(あまいけ)
- 荒巻(あらまき)
- 石無坂(いしなしざか)
- 後川原(うしろかわら)
- 宇藤坂下(うとうさかした)
- 扇ノ沢(おうぎのさわ)
- 扇ノ沢家ノ下(おうぎのさわいえのした)
- 扇ノ沢北向(おうぎのさわきたむき)
- 大久保(おおくぼ)
- 大久保長根(おおくぼながね)
- 落合(おちあい)
- 掛畑(かけはた)
- 桂橋向(かつらばしむかい)
- 金ケ沢(かねがさわ)
- 金ケ沢坂ノ下(かねがさわさかのした)
- 金ケ沢下モ平(かねがさわしもたい)
- 金ケ沢尻(かねがさわじり)
- 金ケ沢森ノ下(かねがさわもりのした)
- 上川原(かみかわら)
- 上後藤(かみごとう)
- 上栃棚(かみとちたな)
- 上栃棚前(かみとちたなまえ)
- 上栃棚森ノ下(かみとちたなもりのした)
- 川台(かわだい)
- 川代坂ノ上(かわだいさかのうえ)
- 川代下モ平(かわだいしもたい)
- 北向(きたむき)
- 鞍掛沢(くらかけざわ)
- 倉沢出口(くらさわでぐち)
- 小坂(こさか)
- 小坂下(こさかした)
- 小坂ノ上(こさかのうえ)
- 小坂前(こさかまえ)
- 小沢平(こさわたい)
- 小又長根(こまたながね)
- 笹森(ささもり)
- 左部長根(さぶながね)
- 沢口(さわぐち)
- 沢出口(さわでぐち)
- 沢向(さわむかい)
- 鹿田(しかだ)
- 鹿田山ノ下(しかだやまのした)
- 篠谷地(しのやち)
- 下後渡(しもごと)
- 下丹母(しもたんぼ)
- 下栃棚上(しもとちたなうえ)
- 白籏(しらはた)
- 新田(しんでん)
- 重堂(じゅうどう)
- 銭神(ぜにがみ)
- 高畑下(たかはたした)
- 滝沢(たきさわ)
- 舘神(たてがみ)
- 舘ノ上(たてのうえ)
- 舘向(たてむかい)
- 田中(たなか)
- 田中家ノ下タ(たなかいえのした)
- 田茂代(たもだい)
- 田茂代家ノ下モ(たもだいいえのしも)
- 田茂代家ノ向(たもだいいえのむかい)
- 丹内沢(たんないざわ)
- 寺久保(てらくぼ)
- 栃棚ノ上(とちたなのうえ)
- 中里家ノ浦(なかさといえのうら)
- 中里家ノ下モ(なかさといえのしも)
- 中野(なかの)
- 中野平(なかのたい)
- 長峯(ながみね)
- 長峯家ノ下(ながみねいえのした)
- 縄代沢口(なわしろさわぐち)
- 西沢口(にしざわぐち)
- 沼田(ぬまた)
- 野月(のづき)
- 羽井内家ノ上(はいないいえのかみ)
- 羽井内家ノ下モ(はいないいえのしも)
- 橋ノ下(はしのした)
- 鉢森(はちもり)
- 早坂(はやさか)
- 林ノ上(はやしのうえ)
- 林ノ下(はやしのした)
- 馬場谷地(ばばやち)
- 東袋(ひがしぶくろ)
- 人馬鹿平(ひとばかたい)
- 風呂前(ふろまえ)
- 盆台(ぼんだい)
- 前鹿田(まえしかだ)
- 曲戸ノ上(まがとのうえ)
- 曲戸前(まがとまえ)
- 操久保(またくぼ)
- 松森(まつもり)
- 水上(みずがみ)
- 三嶽下(みたけした)
- 向落合(むかいおちあい)
- 向谷地(むかいやち)
- 六ツ橋(むつはし)
- 女ケ崎(めがさき)
- 森ノ上(もりのかみ)
- 八ツ役(やつやく)
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]道路
[編集]国道
県道
施設
[編集]名所・旧跡
[編集]縄文時代からの遺跡がある[2]。
- 戸来館 - 中世以来、大字舘(現在の字舘神)にあった城館であり、村の中心として同村役場が置かれた場所。
- 長泉寺 - 中世の寺社、現在の字獅子神に史跡がある。
舞台にした作品
[編集]漫画
[編集]- いしかわじゅん 『約束の地』
脚注
[編集]- ^ 『青森県市町村合併誌』(青森県総務部地方課・1961年3月20日発行)「第一章 合併に至るまでの経緯の概要及び合併当時の市町村の状況・第三編 青森県における市町村合併(境界変更)の推移」881頁「第三三節 新郷村」
- ^ a b 遺跡地名表、青森県、2013年9月1日閲覧。
- ^ a b c へらいのかう、角川日本地名大辞典、エア、2012年9月24日閲覧。
- ^ 総務省統計局統計調査部国勢統計課 (2015年10月1日). “平成27年国勢調査/小地域集計 02青森県”. 2020年1月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2020年1月26日閲覧。
- ^ “村営みずばしょう号時刻表(平成31年4月1日改正)”. 新郷村. 2020年1月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』、東京堂出版、1990年
- 『青森県市町村合併誌』青森県総務部地方課、1961年