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戸村義和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸村 義和(とむら よしかず)は、日本の武将戸村家7代当主・戸村義国の父にあたる。また、佐竹一族である。

 
戸村 義和
時代 安土桃山時代
生誕 不詳
死没

1592年8月30日

文禄元年7月23日
別名 十大夫
墓所 龍昌院
官位 摂津守
主君 佐竹氏
氏族 戸村氏
父母 父: 戸村義廣
江戸重通の娘・知哀院
戸村義国
花押 戸村義和の花押
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生涯

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出自

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豊後国守護戸村義廣の子として生まれる。戸村氏は代々、佐竹氏の支流として受け継がれてきた[1]。その中で義和十太夫十大夫)を襲名しているため6代当主と思われる。

江戸氏と佐竹氏

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当時、佐竹氏の家臣であった義和と父義廣は、1590年天正18年)に江戸氏佐竹氏の不知を知り、義廣自らが奮戦し江戸勢を打ち破る[1]。また、義和は江戸重通の娘・知哀院を側室として迎えている[2]1591年7月3日天正19年5月13日)には後の戸村家7代当主・戸村義国を生んでいる[要出典]

文禄の役

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佐竹義宣の時代、文禄の役では朝鮮を征伐しに参陣したものの、朝鮮にて病に倒れ、1592年8月30日文禄元年7月23日)に病死(一説によると戦死とも言われる[3][2]。義国は父の顔を見ることができなかったという。墓は戸村家代々が眠る横手市龍昌院[4]。後に義国に当主を継いでいる。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b 戸村一族”. uranoke.html.xdomain.jp. 2023年5月22日閲覧。
  2. ^ a b 戸村城 戸村義国が生まれた戸村氏の居城”. お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】 (2018年12月22日). 2023年5月22日閲覧。
  3. ^ 戸村城(那珂市戸)”. yaminabe36.tuzigiri.com. 2023年5月22日閲覧。
  4. ^ #戸村義国”. Instagram. 2023年5月22日閲覧。

参考文献

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  • 桧山義慎 (1816-01-01). 花押譜 7巻. 無明舎出版