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戸村健次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸村 健次
立教大学野球部 コーチ
現役選手時代
2019年、ヤクルト戸田球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県日高市
生年月日 (1987-10-20) 1987年10月20日(37歳)
身長
体重
185 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
初出場 2010年4月21日
最終出場 2019年8月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 立教大学

戸村 健次(とむら けんじ、1987年10月20日 - )は、埼玉県日高市出身の元プロ野球選手投手)・コーチ。右投右打。

経歴

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プロ入り前

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小学3年時から野球を始め、中学時代までは軟式野球をプレー。中学に入学する頃には東京六大学でのプレーを目指すため、大学の付属高校への入学を目標にしていた。志望校だった立教新座高校の合格の目安の偏差値が高く、3年生のときには受験勉強中心の生活になったため、中学最後の大会では野球部のレギュラーになれなかった[1]

勉強の甲斐あり、立教新座高校に合格し、進学。1年秋からのベンチ入りを経て、2年時の春からエースの座を確保した。在学中からストレートで最速145km/hを計測するなど、右の本格派投手として注目されていたが、春夏ともに阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。

立教大学への進学後は、東京六大学野球のリーグ戦に1年の春から登板すると、2年の春季リーグ・対東京大学戦でリーグ戦初勝利。3年の秋季リーグでは、対東大戦で2勝目を挙げると、対明治大学戦でリーグ戦初の完投勝利を挙げた。 4年の春季リーグでは、対早稲田大学戦でチーム8季振りの勝利を挙げたものの、調子の波が大きくスタミナ不足を露呈。4年の秋季リーグでは、チーム14試合中11試合に登板すると、通算投球イニング(74回2/3)・勝利数(4勝)とも自己最多記録を達成した。また、早大との2回戦では、リーグ戦唯一の完封勝利を挙げている。在学中には、リーグ戦で通算45試合に登板。10勝14敗、防御率3.18、142奪三振という成績を残した。

2009年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目で単独指名。契約金9,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した[2]背番号22

プロ入り後

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2010年、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、4月21日の対千葉ロッテマリーンズ戦(郡山総合運動場開成山野球場)に、先発投手として一軍公式戦にデビュー。一軍公式戦全体では、4試合の登板で、0勝1敗、防御率も7.27を記録した。

2011年オープン戦で好投を続けたことから、公式戦の開幕から一軍の先発ローテーションに加わったが、勝ち星を挙げられないまま5月3日に登録抹消。9月に再び登録されたものの、一軍公式戦全体では、8試合の登板で0勝3敗にとどまった。10月6日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、東京六大学リーグの対早大戦で一度も勝てなかった斎藤佑樹と投げ合った末に、一軍公式戦で初めての完投を経験したが、3敗目を喫した。投手出身の星野仙一一軍監督に、「この試合の収穫は戸村の完投だけ」と言わしめた[3]

2012年、前年に続いて公式戦の開幕から一軍の先発陣に入ると、4月4日の対福岡ソフトバンクホークス戦(クリネックスタジアム宮城)で一軍公式戦初勝利。星野の監督通算1,000勝達成に貢献した[4]。以降も2勝を挙げたが、セ・パ交流戦からは中継ぎに転向。6月3日に出場選手登録を抹消されると、9月の再登録後に一軍公式戦で1度先発したが、序盤に先発で3勝を記録しただけでシーズンを終えた。

2013年、公式戦の開幕から一軍の先発ローテーションに入ることを期待されたが、開幕直前に水ぼうそうを発症。5月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(Kスタ宮城)で一軍公式戦へのシーズン初登板を果たすと、この試合から12試合の先発登板で4勝を挙げた。ただし、与四球数が奪三振数を上回るほど投球内容が安定せず、8月下旬に出場選手登録を抹消。一軍が初めて進出したクライマックスシリーズ日本シリーズでも、登板の機会がなかった。

2014年、公式戦を二軍でスタート。イースタン・リーグの公式戦では、開幕当初に先発で好投していたが、5月末に酒井勉二軍チーフ投手コーチ(当時)の方針でクローザーに転向した[5]。6月27日に、救援要員として出場選手登録。登録後はオール救援で一軍公式戦5試合に登板したが、防御率が10.13に達した。このため、シーズンの終了後には、入団当時のチームメイトだった岩隈久志の自主トレーニングに参加した。

2015年、先発へ再び転向すると、4月から一軍の先発陣に復帰。4月26日の対ロッテ戦(楽天Koboスタジアム宮城では、一軍公式戦初の完投勝利を無四球で達成した[6]。5月中盤から前半戦まで中継ぎに回ると、救援防御率を2.12にとどめるなど好投。一方で交流戦の開幕カードとなった阪神タイガース甲子園)との3連戦では、2戦目・3戦目と連続して本塁打、押し出し四球という形でサヨナラ負けを喫した(打者はいずれも福留孝介[7]辛島航の先発が予告されていた6月19日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では、辛島が左背中痛で登板を回避したことを受けて急遽先発すると、5回1失点の好投で勝利投手になった。戸村が他の投手のアクシデントに伴って一軍公式戦へ急遽登板した事例は、この試合が初めてである。後半戦からは先発へ正式に復帰。入団後初めてフルシーズン一軍へ帯同するとともに、対ロッテ戦だけで4勝を挙げるなど、チーム2位の7勝を記録した。

2016年、一軍公式戦の開幕直後までは、先発要員として二軍で調整。一軍の中継ぎ陣が総じて不振であったことから、4月10日に中継ぎ要員として一軍へ合流した[8]。同月だけで3敗を喫したことから、二軍で先発要員として再び調整した後に、6月10日から一軍へ復帰。6月19日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)に先発でシーズン唯一の勝利を挙げたが、右肘の状態が悪く、7月4日に出場選手登録を再び抹消。8月4日に右肘のクリーニング手術を受ける[9]と、そのままシーズンを終えた。一軍公式戦全体では11試合に登板したが、1勝5敗、防御率4.41という成績にとどまった。

2017年、4月から7月までロングリリーフ要員として一軍に帯同[10]しながら、先発を予告されていた同僚投手のアクシデントによって、一軍公式戦で急遽先発を任されることが相次いだ。岸孝之の先発が予告されていた4月23日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、岸が腰痛の発症で登板を回避したため緊急先発。試合開始のおよそ15分前に、この年の一軍公式戦で初めての先発登板を告げられたにもかかわらず、6回裏の途中まで無失点に抑える好投で勝利投手になった[11]パシフィック・リーグ予告先発制度が導入された1994年以降のNPB一軍公式戦で、1人の投手が予告先発投手の代役登板で2勝を挙げた事例は、2015年の対ロッテ戦(前述)とこの試合に勝利した戸村が初めてである[12]。さらに、塩見貴洋の先発が予告されていた6月9日の対広島東洋カープ戦(Koboパーク宮城)では、塩見が腰の張りで登板を回避したため、シーズン2度目の緊急先発に臨んだ。NPBの一軍公式戦で1人の投手が予告先発投手の代役を通算3回(1シーズンに2回)務めた事例は初めてで、救援登板で4イニングを投げた6月6日の対DeNA戦(荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)から中2日で臨んだが、3回途中5失点という内容で黒星を喫した[13]。一軍公式戦全体では、13試合の登板で、2勝1敗、防御率6.23をマーク。この成績に対して、球団からは、推定年俸2,000万円からの減額に相当する査定を受けていた。しかし、2度にわたる緊急先発を考慮されたため、シーズン終了後の契約交渉では現状維持という条件で更改に至った[10]

2018年、公式戦の開幕を二軍で迎えると、5月20日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で、救援投手としてシーズン初の一軍公式戦登板を果たした。2日後(5月22日)の対オリックス・バファローズ戦(楽天生命パーク)でも8回表に救援で登板したが、西野真弘が放った打球が右顎を直撃。そのままマウンドで昏倒したため、救急車で病院に搬送された。後の診察で、右下顎角の骨折によって、実戦への復帰までに3~4ヶ月を要することが判明[14]。5月28日に骨折個所の整復手術を受けた[15]が、一軍公式戦では以上2試合の登板にとどまった。

2019年、一軍公式戦で前年を上回る6試合に登板したが、勝敗は付かず、防御率は6.32にまで達した。レギュラーシーズンの10月18日に球団から戦力外通告を受けたことによって、2009年ドラフト会議での指名を経て2010年に楽天へ入団した現役選手が、チームから完全に姿を消すことになった[16]。戸村自身はNPB12球団合同トライアウトへの参加を見送る一方で、NPB他球団から獲得のオファーを受けた場合に現役生活を続ける意向を示していた[17]が、11月22日に楽天球団を通じて現役引退を発表[18]。球団では11月24日に、楽天生命パークのファン感謝祭で引退セレモニーを開催した[19]

現役引退後

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2020年シーズンからは、楽天野球団のチーム運営部に所属しながら打撃投手を務めることが発表されたが[20]、同年2月18日の沖縄県金武町での一軍春季キャンプの打撃練習で登板した際、防球ネットの縁に当たって跳ね返った打球を頭部に受け、頭蓋骨多発骨折と前頭葉の軽度の脳挫傷の怪我を負った。球団はこの事故を受けて、打撃投手のヘルメット着用を義務付け、また、防球ネットの改良も検討することとなった[21]。そして戸村自身はセカンドインパクト症候群に陥る危険性を考慮され、打撃投手からスコアラーへと転属された[22]。その後、楽天イーグルスアカデミーコーチを務めた。 2023年1月5日、自身のインスタグラムで2022年いっぱいでの楽天イーグルス退団と、株式会社ネクストベースへの転職を報告した。

2024年1月3日に母校である立教大学の野球部のコーチに就任したことが発表された[23]

選手としての特徴・人物

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185cmの長身から投げ下ろす最速151km/hのストレート[24]を軸に、縦のスライダーフォークを交えることが特徴[25]。スライダーは2010年から2年連続で被打率を1割台にとどめる[26]ほど有効であったが、制球[27]やセットポジション時の投球に課題を残していた[28]

楽天入団後の2012年まではオーバースローで投げていたが、2013年からは左腕の位置を下げることによって、スリークォーター気味のフォームに改造。シュートカットボールも投げるようになった[29]

楽天への入団後は、前述したように、2018年シーズンまでの一軍公式戦で予告先発投手の代役を3回経験。ビハインドの局面でロングリリーフを任されることも多いため、星野監督時代に同様の役割を担っていた左投手(当時)の川井貴志が星野から「困った時のボブ」と呼ばれていたことにちなんで、チーム関係者から「困った時のトム(戸村)」と呼ばれるほど重宝されていた。戸村自身は、2017年の契約更改直後に、「ロングリリーフというポジションは難しかったが、『(ロングリリーフを)やりたくない』と言う投手はプロではない。この年に(予告先発の代役を2回)経験したことは、自分の財産になった」と述べている[10]

尊敬する人物は、かつての楽天のエースで、現役時代の初期にチームメイトだった岩隈久志[30]

私生活では2011年1月に、保育園の頃からの幼馴染の女性と結婚している[31][32]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2010 楽天 4 4 0 0 0 0 1 0 0 .000 84 17.1 23 3 10 1 1 13 2 0 15 14 7.27 1.91
2011 8 8 1 0 0 0 3 0 0 .000 191 41.1 48 2 17 0 1 26 4 0 25 18 3.92 1.57
2012 9 6 0 0 0 3 2 0 0 .600 170 38.0 51 1 11 0 0 19 1 0 17 16 3.79 1.63
2013 12 12 0 0 0 4 2 0 0 .667 284 67.2 63 4 28 0 3 22 4 0 27 25 3.33 1.34
2014 5 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 25 5.1 9 2 0 0 1 4 0 0 6 6 10.13 1.69
2015 37 18 1 0 1 7 11 0 1 .389 572 131.1 152 7 40 0 4 78 5 0 68 56 3.84 1.46
2016 11 5 0 0 0 1 5 0 0 .167 151 34.2 37 4 11 1 4 23 0 0 20 17 4.41 1.38
2017 13 2 0 0 0 2 1 0 0 .667 116 26.0 30 6 9 0 2 22 2 1 20 18 6.23 1.50
2018 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.0 3 1 1 0 0 0 0 0 2 2 18.00 4.00
2019 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 73 15.2 17 1 9 1 0 15 1 0 15 11 6.32 1.66
通算:10年 107 55 2 0 1 17 25 0 1 .405 1673 378.1 433 31 136 3 16 222 19 1 215 183 4.35 1.50
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

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投手












2010 楽天 4 0 7 0 0 1.000
2011 8 0 9 0 0 1.000
2012 9 1 9 0 0 1.000
2013 12 3 8 0 0 1.000
2014 5 0 1 0 0 1.000
2015 37 3 20 2 0 .920
2016 11 3 5 1 0 .889
2017 13 1 5 0 1 1.000
2018 2 0 1 0 0 1.000
2019 6 0 3 1 0 .750
通算 107 11 68 4 1 .952

記録

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背番号

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  • 22 (2010年 - 2019年)
  • 102 (2020年 - 同年3月31日)

登場曲

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脚注

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  1. ^ 間淳 (2022年9月24日). “野球を一時中断して受験に集中 元楽天ドラフト1位投手の将来を見据えた進路選び”. Full-Count. https://full-count.jp/2022/09/24/post1285606/ 2022年9月26日閲覧。 
  2. ^ “楽天にノムさんならぬ「トムさん」誕生”. nikkansports.com. (2009年11月14日). https://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/p-bb-tp1-20091115-566122.html 2011年11月17日閲覧。 
  3. ^ “楽天戸村3敗目…佑の壁越えられない”. nikkansports.com. (2011年10月7日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20111007-846229.html 2011年11月17日閲覧。 
  4. ^ “楽天・戸村、仙さんに白星プレゼント!”. SANSPO.COM. (2012年5月12日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20120512/gol12051205040000-n1.html 2012年10月8日閲覧。 
  5. ^ “【楽天】戸村、200万円減も「しょうがない」来季の巻き返し誓った”. スポーツ報知. (2014年11月25日). https://web.archive.org/web/20141207085121/http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20141125-OHT1T50073.html 2015年3月17日閲覧。 
  6. ^ “楽天 6年目の戸村がプロ初完投勝利「最高。そのひとこと」”. Sponichi Annex. (2015年4月26日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/26/kiji/K20150426010242010.html 2015年4月26日閲覧。 
  7. ^ 楽天・戸村 連夜の悪夢…しかもまた福留 交流戦3連敗発進 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年5月27日閲覧。
  8. ^ 楽天1日で単独首位陥落 崩壊投手陣に緊急テコ入れ 日刊スポーツ 2016年4月9日配信
  9. ^ 楽天 戸村 右肘クリーニング手術 ブルペン投球まで約3カ月 スポーツニッポン 2016年8月4日配信
  10. ^ a b c 【楽天】「困ったときの戸村」手当で現状維持 成績的にダウンも… スポーツ報知 2017年11月24日配信
  11. ^ 岸が登板回避で急遽登板も6回途中無失点、梨田監督「戸村が助けてくれた」 FullCount 2017年4月23日配信
  12. ^ 楽天戸村が史上初代役2勝、15分前「いくぞ」対応 日刊スポーツ 2017年4月24日配信
  13. ^ 岸が登板回避で急遽登板も6回途中無失点、梨田監督「戸村が助けてくれた」 スポーツニッポン 2017年6月10日配信
  14. ^ 楽天戸村あご骨折で今季絶望か オコエも登録抹消日刊スポーツ 2018年5月24日配信
  15. ^ 【楽天】打球直撃の戸村が手術スポーツ報知 2018年5月30日配信
  16. ^ 1位の戸村が戦力外で現役の所属選手は「0」に…楽天2009年ドラフト組の今Full-Coun2019年10月19日配信
  17. ^ 2009年ドラフト1位楽天戸村に戦力外通告 現役続行も視野日刊スポーツ2019年10月18日配信
  18. ^ 楽天戸村と西宮が引退発表 ファン感謝祭でセレモニー日刊スポーツ 2019年11月22日配信
  19. ^ 今江敏晃選手、戸村健次選手、西宮悠介選手引退セレモニー東北楽天ゴールデンイーグルス 2019年11月24日配信
  20. ^ スタッフ契約に関して東北楽天ゴールデンイーグルス 2019年11月24日配信
  21. ^ “楽天・戸村打撃投手は頭蓋骨多発骨折と前頭葉の軽度の脳挫傷 1、2週間入院へ”. デイリースポーツ online. (2020年2月19日). https://www.daily.co.jp/baseball/2020/02/19/0013128588.shtml 2020年2月19日閲覧。 
  22. ^ “「命には代えられない」打球受け頭蓋骨骨折で打撃投手断念 楽天戸村が配置転換報告”. Full-Count. (2020年3月31日). https://full-count.jp/2020/03/31/post738411/ 2024年1月7日閲覧。 
  23. ^ “【大学野球】立大コーチに09年楽天ドラ1の戸村健次氏が就任…予告先発の代役3度「困った時のトム」”. スポーツ報知. (2024年1月3日). https://hochi.news/articles/20240103-OHT1T51115.html 2024年1月7日閲覧。 
  24. ^ “1位戸村「一番自信は真っすぐ」”. nikkansports.com. (2009年10月31日). https://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2009/news/f-bb-tp1-20091031-561504.html 2015年5月28日閲覧。 
  25. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、93頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6 
  26. ^ 『野球小僧 プロ野球&世界野球選手名鑑2012』白夜書房、2012年、62頁頁。ISBN 978-4-86191-872-8 
  27. ^ 2013年7月27日 楽天 対 千葉ロッテ インタビュー”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2013年7月27日). 2013年7月28日閲覧。
  28. ^ “2年目戸村 今季も0勝”. nikkansports.com. (2011年10月18日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20111018-851695.html 2011年11月17日閲覧。 
  29. ^ “戸村7回無失点1カ月ぶり3勝目”. nikkansports.com. (2013年6月29日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130629-1149867.html 2013年6月29日閲覧。 
  30. ^ “立大・戸村 楽天の大エースから決め球学ぶぞ”. Sponichi Annex. (2009年10月30日). https://web.archive.org/web/20160304213614/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/2009npb/eagles/KFullNormal20091030135.html 2015年4月27日閲覧。 
  31. ^ 戸村選手入籍のお知らせ”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年1月22日). 2011年11月17日閲覧。
  32. ^ “楽天戸村結婚 出会い3歳、大学で再会”. nikkansports.com. (2010年12月8日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20101208-711303.html 2013年7月2日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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