成都石室中学
成都石室中学 Chengdu Shishi High School | |
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過去の名称 |
川西石室中学 成都第四中学 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 文翁 |
校訓 | 愛国利民、因時応事、整斉厳粛、徳達材実 |
設立年月日 |
蜀郡郡学 約紀元前141年 成都府学 1661年 成都師範学堂 1902年 |
所在地 |
文廟キャンパス: 中国四川省成都市青羊区文廟前街93号 北湖キャンパス: 中国四川省成都市成華区龍潭立交西内側 |
公式サイト | http://www.cdshishi.net/ |
成都石室中学(せいとせきしつちゅうがく、ピンイン:Chéngdū Shíshì Zhōngxué、英: Chengdu Shishi High School)は中国四川省成都市に位置する高等学校である。過去名に成都第四中学があったため「成都四中」とも呼ばれる。その前身「文翁石室」は、漢の景帝後元2年(紀元前141年)に設立された。文翁石室は中国を含め、世界中においても地方が運営する最古の学堂である。現在、石室中学は省級一級モデル高校であり、2つのキャンパスがある。文廟キャンパスは中国四川省成都市青羊区文廟前街93号にあり、北湖キャンパスは中国四川省成都市成華区龍潭立交西内側にある。
歴史沿革
[編集]校名の沿革
[編集]次の表は、各時期において石室中学の校名を示すものである。
時代 | 校名 |
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漢 | 蜀郡郡学 |
三国 | 蜀国太学 |
晋 南朝 唐 | 益州州学 |
五代十国 | 孟蜀太学 |
宋 元 明 清 | 成都府学
錦江書院 |
清末 中華民国 | 成都師範学堂
四川省成都石室中学 |
中華人民共和国 | 川西石室中学
成都第四中学 成都石室中学 |
古代
[編集]大城南門曰江橋、橋南曰萬里橋、西上曰夷里橋、下曰笮橋、南岸道東有文學、始文翁為蜀守、立講堂、作石室於南城。永初後、學堂遇火、後守更增二石室。—『水經注・卷三十三』
漢の景帝末期(約紀元前143年-前141年)、蜀郡太守の文翁は成都の城南に石室を築き、蜀郡郡学を創設した。この地方が運営する学校の開校は中国で初めてであった。文翁の優れた教育により、卓越した業績が出て、蜀郡の文化教育は大きく発展し、人材が輩出していた。司馬相如、楊雄、王褒などの詩人や学者が次々と現れた。そして、紀元前124年に、漢の武帝は全国に向けて、文翁に倣って学校を設立するように命じた。
州奪郡学事件後、石室は益州州学となった。明の終わりと清の初めの頃に、張献忠は蜀を占領し、石室は完全に破壊された。
1661年、当局は文翁石室の旧址に成都府学を設立した。四川において、これは初の学校である。
近現代
[編集]康熙帝の時代になると、四川按察使の劉徳芳は成都府学に錦江書院を設立し、錦江書院は後に四川大学に発展した。
1902年、四川総督の岑春煊は、成都府学を成都師範学堂に変更し、癸卯学制施行された後は成都府中学堂に変更された。辛亥革命後は成都聯合中学に改名された。1940年2月に四川省立成都石室中学に改称され、1948年に全国優良モデル学校に認定された。1950年、川西石室中学に改名された。中華人民共和国が成立した後、1952年9月に学校は成都第四中学に改名された。文化大革命の時、石室中学は三度目の全破壊を受けてしまい、清の時代に建てられた建物はすべてなくなった。 1983年4月に、校名は旧称の石室中学に戻った。
教育
[編集]学校の教育の質は、成都を含めて四川省において一流のレベである。成都市第七中学、成都樹徳中学(旧名「成都市第九中学」)とともに成都市の三名門、「四七九」として知られている。