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成田五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
成田 五郎
なりた ごろう
生年月日 1857年4月??
出生地 日本の旗 日本福井藩
没年月日 没年不明 
死没地 日本の旗 日本東京府東京市
出身校 東京外国語学校 (旧制)
(現・東京外国語大学[1]
称号 従六位勲五等[2]

在任期間 1906年1月24日 - 1908年10月15日

在任期間 1903年12月9日 - 1906年1月23日

在任期間 1900年9月29日 - 1903年12月8日
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成田 五郎(なりた ごろう、1857年安政4年)4月 - 没年不明)は、日本の外交官マニラ領事豪州タウンズビル領事を歴任。渋谷町会議員。

経歴

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福井藩(現:福井県越前市)出身。福井藩砲術師(自由斎流)成田半之助・母、豊田サクの長男として生まれる[1][7]。弟は明治期を代表する写真師成田常吉である。

東京外国語学校 (旧制)を卒業後、内務省駅逓局に勤務する。1881年(明治14年)、外務省に異動し在清國漢口領事館、在布哇国在ホノルル領事館英語版在シドニー領事館タコマ領事館シアトル分館の書記生を務めた。1900年より在マニラ日本副領事 [6]及び領事、在タウンズビル日本帝国領事[3]を歴任した。

年譜

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注釈・出典

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  1. ^ a b c d e 『東京府市名誉録』大蔵省印刷局、1925年、53頁。
  2. ^ a b 『官報 1907年08月22日』大蔵省印刷局、1910年、455頁。
  3. ^ a b c 『官報 1906年02月01日』大蔵省印刷局、14頁。
  4. ^ a b c 『日本領事報告の研究 (京都大学人文科学研究所研究報告)』 角山栄 編、496頁。
  5. ^ a b 『官報 1903年12月09日』大蔵省印刷局、234頁。
  6. ^ a b c 『官報 1900年09月29日』大蔵省印刷局、491頁。
  7. ^ 『福井県史 資料編 6 (中・近世 4 武生市・今立郡・南条郡)』福井県、305頁。
  8. ^ 『官員名鑑 明治10年9月』弘道軒、17頁。
  9. ^ 『改正官員録 明治14年10月』博公書院、23頁。
  10. ^ 『官報 1889年07月30日』大蔵省印刷局、327頁。
  11. ^ 『官報 1891年06月04日』大蔵省印刷局、50頁。
  12. ^ 『職員録 明治32年現在(甲)』大蔵省印刷局、48頁。
  13. ^ 『官報 1900年11月20日』大蔵省印刷局、273頁。
  14. ^ 『職員録 明治32年現在(甲)』大蔵省印刷局、48頁。
  15. ^ 『官報 1909年07月02日』大蔵省印刷局、27頁。
  16. ^ 『官報 1911年12月05日』大蔵省印刷局、117頁。
  17. ^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正元年(初版)』帝国興信所、樺太2頁。
  18. ^ 『渋谷町誌』渋谷警察署新築落成祝賀協賛会、106頁。
  19. ^ 『官報 1927年07月18日』大蔵省印刷局、468頁。
  20. ^ 『官報 1933年09月16日』大蔵省印刷局、21頁。