慈恩寺 (岐阜市溝口中)
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慈恩寺 | |
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所在地 | 岐阜県岐阜市溝口中138-1 |
位置 | 北緯35度28分39.5秒 東経136度50分03.7秒 / 北緯35.477639度 東経136.834361度座標: 北緯35度28分39.5秒 東経136度50分03.7秒 / 北緯35.477639度 東経136.834361度 |
山号 | 玉保山 |
宗派 | 西山浄土宗 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 建久6年(1195年) |
開山 | 慈源 |
開基 | 山県国盛、世保国成 |
中興年 | 正長元年(1428年) |
中興 | 玉保通源 |
文化財 | 木造千手観音坐像(重要文化財) |
法人番号 | 7200005000571 |
慈恩寺(じおんじ)は、岐阜県岐阜市溝口中にある西山浄土宗の寺院で、山号は玉保山。重要文化財の千手観音像を本尊としている。なお、岐阜市には同じ寺号の高桑山慈恩寺が柳津町高桑に、景徳山慈恩寺が大門町に存在する。
歴史
[編集]建久6年(1195年)に落合国時の追善供養のため、その子の山県国盛、世保国成兄弟が開基となり、慈源大僧正[1]を開山とする天台宗の寺院として建立された。その後兵火に遭うなどして衰えたが、立政寺開山である智通光居の法嗣、玉保通源が正長元年(1428年)に浄土宗の寺院として再興した。文明年間に住職の護海上人が、霊夢により、その当時の本尊であった恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来を、関市の満願寺の伝教大師作と伝わる千手観音座像と交換している。また、護海上人は文明18年(1486年)に寺の北西に末寺として仏光寺を開いた。文禄2年(1593年)には西福寺、寛永元年(1624年)に福善寺を末寺に加えている。
承応3年(1654年)、火災により焼失。天明3年(1783年)、京都禅林寺と光明寺から准檀林の称号を得ている。明和6年(1769年)と明治4年(1871年)に火災に遭い、多くの寺宝と堂宇を失う。現在の本堂は明治43年(1910年)に再建されたもので、庫裏は明治11年(1878年)に再建されたものである。
文化財
[編集]本尊の木造千手観音坐像は平安時代後期の作とみられ、阿弥陀如来を頭上に掲げる珍しい形をしている。明治20年(1887年)に宮内省から保存金100円を交付され、大正3年(1914年)に旧国宝(現・重要文化財)に指定された。通常非公開であるが、1月1日から1月3日までの3日間と8月9日と10日の2日のみ開帳される。
脚注
[編集]- ^ 九条道家の子慈源は建長7年(1255年)に37歳で没したので建久6年には生まれていない。なお、建久6年には落合国時と同族の慈賢(摂津源氏源頼兼の子とされる)が天台座主慈円の弟子となった。この慈賢の弟子が慈源である。
参考文献
[編集]- 山県郡教育会(編)『山県郡志』山県郡教育会、1918年、p.162
- 道下淳ほか『岐阜県百寺』郷土出版、1987年、p.20