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慈恩寺村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
じおんじむら
慈恩寺村
廃止日 1954年5月3日
廃止理由 新設合併
岩槻町、新和村和土村川通村柏崎村河合村慈恩寺村 → 岩槻町
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
南埼玉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,893
国勢調査1950年
隣接自治体 埼玉県:南埼玉郡岩槻町春日部町豊春村川通村河合村黒浜村日勝村
慈恩寺村役場
所在地 埼玉県南埼玉郡慈恩寺村大字慈恩寺258番地1
座標 北緯35度58分54秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.98156度 東経139.70844度 / 35.98156; 139.70844座標: 北緯35度58分54秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.98156度 東経139.70844度 / 35.98156; 139.70844
特記事項 人口はによる
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慈恩寺村(じおんじむら)は、埼玉県南埼玉郡に存在した

地理

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歴史

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、慈恩寺、裏慈恩寺、表慈恩寺、古ヶ場、徳力、鹿室、上野、南辻、小溝、相野原の10箇村が合併し、慈恩寺村が成立する[1]
  • 1940年(昭和15年) - 南埼玉郡日勝村大字岡泉および実ケ谷黒浜村大字江ヶ崎の各一部が慈恩寺村に編入され、慈恩寺村の一部を分割し日勝村および黒浜村へ編入する[1]
  • 1954年昭和29年)5月3日 - 岩槻町、新和村和土村川通村柏崎村河合村と合併し、岩槻町が成立。慈恩寺村は消滅した[2][1]。大字は岩槻町へ継承された。
  • 1954年(昭和29年)7月1日 - 岩槻町が市制施行し岩槻市となる[2]
  • 1971年(昭和46年)1月22日 - 大字小溝の小林住宅向けとして市内局番に94局を追加。
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 区画整理により大字表慈恩寺、上野、裏慈恩寺、慈恩寺、春日部市大字花積、道口蛭田の各一部から諏訪一丁目から五丁目、大字上野、表慈恩寺、南平野の各一部から上里一丁目及び二丁目、大字表慈恩寺、慈恩寺、上野、南平野、春日部市大字花積の各一部から東岩槻一丁目 - 六丁目(1 - 17番地)が成立。
  • 1972年(昭和47年)11月頃 - 元荒川と東武野田線より北側の区域で市内局番が56局から94局に変更。
  • 1987年(昭和62年)8月9日 - 上野・古ヶ場土地区画整理事業により大字上野、大字古ヶ場の各一部から上野一丁目-六丁目、古ヶ場一丁目-二丁目が成立。
  • 1988年(昭和63年)12月19日 - 市内の市外局番が0487から048に変更。
  • 2005年(平成17年)4月1日 - 岩槻市がさいたま市に編入され、同市岩槻区となる。

脚注

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 

関連項目

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