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愛敬正元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

愛敬 正元(あいきょう まさもと、天保2年(1831年) - 明治9年(1876年11月3日)は、幕末から明治時代の神職。幼名は亀助、のち左司馬[1]

経歴・人物

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肥後国代継宮の祠官[2]幼名は亀助、のち左司馬。熊本藩国学者林桜園に学び、尊王攘夷運動に加わる[2]。明治9年(1876年)神風連の乱に長男の元吉と共に参加するが敗れ、同年11月3日筑前三国峠にて自刃した[2]

脚注

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  1. ^ 荒木精之 著 『神風連実記』新人物往来社、p.100 (1971)
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『愛敬正元』 - コトバンク