宗重尚
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(惟宗重尚から転送)
時代 | 鎌倉時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 惟宗重尚 |
墓所 | 長崎県対馬市厳原町内山の木武古婆神社 |
氏族 | 宗氏 |
父母 | 父:平知宗? 惟宗信国? |
兄弟 | 重尚、助国 |
子 |
なし 養子:助国(実弟) |
宗 重尚(そう しげひさ)は、鎌倉時代の武将。宗氏初代当主。
出自
[編集]父は平知宗とされ、所伝では平知盛の子・知宗は元暦2年/寿永4年(1185年)の壇ノ浦の戦い後、惟宗氏に養われたとし、桓武平氏であると称していた。実際は島津氏と同じく惟宗氏の出身だといわれる。
略歴
[編集]寛元3年(1245年)、対馬国の阿比留親元が反乱を起こしたため、これを討つために筑前国より対馬に入島した。翌寛元4年(1246年)に阿比留氏の反乱を平定し、対馬の国主となったとされる。近年の研究では、その存在が疑問視されている。
韓国での捏造
[編集]韓国の黄白炫(ファン・ベクヒョン)は、宗重尚は朝鮮半島・釜山出身で元の姓は宋であったと主張している。[1]
この研究によれば重尚の墓が存在しないのは(後世の創作による人物だからではなく)遺体を出身地の釜山に移送したためであり、重尚の墓は釜山のいずれかにあるとしている。
現実には重尚の墓は木武古婆神社に現存している。
脚注
[編集]- ^ “対馬の島主 宗氏ではなく韓国人の宋氏=韓国学者”. 聯合ニュース. (2012年6月1日) 2021年8月22日閲覧。
出典
[編集]- 宗氏家譜