恵雲 (飛鳥時代)
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唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する[1]。
大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮・霊雲・旻・道登・恵至・恵妙らとともにその一員に選ばれている[2]。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので[3]、皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している[4]。
以後の事績は不明である。
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