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恵雲 (飛鳥時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

恵雲(えうん、生没年不詳)は、飛鳥時代学僧

唐に渡った年次は不明。記録に現れるのは、舒明天皇11年(639年)9月、新羅の送使に従い、先に遣隋使とともに大陸に渡り、長期滞在していた恵隠とともに帰国して、入京する[1]

大化元年(645年)8月、十師の制が設置された時、福亮霊雲道登恵至恵妙らとともにその一員に選ばれている[2]。十師としての仕事としては、 白雉2年(651年)春三月、前年より取りかかっていた丈六の繍像(ぬいものほとけ)など36体の仏像が完成したので[3]皇御母尊(すめらみおやのみこと)によって招請され、斎会を催している[4]

以後の事績は不明である。

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』巻第二十三、舒明天皇11年9月条
  2. ^ 『日本書紀』巻第二十五、孝徳天皇 大化元年8月8日条
  3. ^ 『日本書紀』巻第二十五、孝徳天皇 白雉2年3月14日条
  4. ^ 『日本書紀』巻第二十五、孝徳天皇 白雉2年3月15日条

参考文献

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