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忠清南道 (日本統治時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
忠清南道
位置
地図
各種表記
ハングル: 충청남도
漢字: 忠淸南道
日本語読み仮名: ちゅうせいなんどう
片仮名転写: チュンチョンナムド
英語表記: Chūseinan-dō / Chungcheongnam-do
統計(1935年
面積: 8,106.48[1] km2
総人口: 1,526,782[1]
男子人口: 782,597[1]
女子人口: 744,185[1]
人口密度: 188.34[1] 人/km2
世帯数: 280,220[1] 世帯
行政
国: 大日本帝国の旗 大日本帝国
下位行政区画: 1府 14郡
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忠清南道道庁

忠清南道ちゅうせいなんどう、チュンチョンナムド)は、日本統治時代の朝鮮行政区画の一つ。現在の大韓民国忠清南道大田広域市及び世宗特別自治市の一部を合わせた地域にあたる。道庁所在地は大田

概要

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朝鮮南西部、忠清道地方の西側にあたる。西は黄海に面し、北に京畿道、東に忠清北道、南に全羅北道と接する。

人口

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昭和11年現住戸口調査より

  • 総人口 1,482,963人
    • 内訳
      • 内地人 26,314人
      • 朝鮮人 1,454,830人
      • その他 1,819人

行政区分

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昭和20年(1945年)当時

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  • 大徳郡
    • 山内面、東面、懐徳面、北面、九則面、炭洞面、儒城面、鎮岑面、杞城面、柳川面
  • 燕岐郡
    • 鳥致院邑、東面、西面、南面、錦南面、全義面、全東面
  • 公州郡
    • 公州邑、利仁面、灘川面、鶏龍面、反浦面、長岐面、儀堂面、正安面、牛城面、寺谷面、新豊面、維鳩面
  • 論山郡
    • 論山邑、江景邑、城東面、光石面、魯城面、上月面、夫赤面、漣山面、豆磨面、伐谷面、陽村面、可也谷面、九子谷面、恩津面、彩雲面
  • 扶余郡
    • 扶余面、窺岩面、恩山面、外山面、内山面、九龍面、鴻山面、玉山面、南面、忠化面、良化面、林川面、場岩面、世道面、石城面、草村面
  • 舒川郡
    • 長項邑、舒川面、馬西面、華陽面、麒山面、韓山面、馬山面、時草面、文山面、東面、鍾川面、庇仁面、西面
  • 保寧郡
    • 大川面、周浦面、鰲川面、川北面、青所面、青蘿面、藍浦面、熊川面、珠山面、嵋山面
  • 青陽郡
    • 青陽面、雲谷面、大峙面、定山面、木面、青場面、赤谷面、斜陽面、化城面、飛鳳面
  • 洪城郡
    • 洪城邑、広川邑、洪北面、金馬面、洪東面、長谷面、銀河面、結城面、西部面、高道面、亀項面
  • 礼山郡
    • 礼山邑、大述面、新陽面、光時面、大興面、鷹峰面、挿橋面、徳山面、鳳山面、古徳面、新岩面、吾可面
  • 瑞山郡
  • 唐津郡
    • 唐津面、高大面、石門面、沔川面、順城面、合徳面、牛江面、新平面、松嶽面、松山面
  • 牙山郡
    • 温陽邑、松嶽面、排芳面、湯井面、塩峙面、陰峰面、屯浦面、霊仁面、仁州面、仙掌面、道高面、新昌面
  • 天安郡
    • 天安邑、歓城面、豊歳面、広徳面、木川面、北面、城南面、修身面、並川面、東面、成歓面、稷山面、聖居面、笠場面

歴代忠清南道知事(道長官を含む)

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1919年8月以前は「忠清南道長官」。

氏名 在任期間 備考
朴重陽(パク・ジュンヤン) 1910年10月1日 - 1915年3月31日 忠清南道長官
小原新三(おはら しんぞう) 1915年3月31日 - 1916年10月28日
上林敬次郎(かんばやし けいじろう) 1916年10月28日 - 1918年9月23日
桑原八司(くわはら はちし) 1918年9月23日 - 1919年9月26日 1919年8月より忠清南道知事
時実秋穂(ときざね あきほ) 1919年9月26日 - 1921年2月12日
金寛鉉(キム・グァンヒョン) 1921年2月12日 - 1924年12月1日
石鎮衡(ソク・ジンヒョン) 1924年12月1日 - 1926年8月14日
兪星濬(ユ・ソンジュン) 1926年8月14日 - 1927年5月18日
申錫麟(シン・ソクリン) 1927年5月18日 - 1929年11月28日
劉鎮淳(ユ・ジンスン) 1929年11月28日 - 1931年9月23日
岡崎哲郎(おかざき てつろう) 1931年9月23日 - 1935年4月1日
李範益(イ・ボミク) 1935年4月1日 - 1937年2月20日
鄭僑源(チョン・ギョウォン) 1937年2月20日 - 1939年5月17日
李聖根(イ・ソングン) 1939年5月17日 - 1941年5月31日
松村基弘(まつむら もとひろ) 1941年5月31日 - 1942年10月23日 李基枋(イ・ギバン)で改名
山木文憲(やまき ふみのり) 1942年10月23日 - 1945年6月26日 宋文憲(ソン・ムンホン)で改名
増永弘(ますなが ひろし) 1945年6月26日 - 朴在弘(パク・ジェホン)で改名、日本統治下最後の知事

法院(裁判所)

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昭和16年(1941年)当時

  • 大田地方法院
  • 大田地方法院公州支庁
  • 大田地方法院江景支庁
  • 大田地方法院洪城支庁
  • 大田地方法院瑞山支庁

刑務所

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昭和16年(1941年)当時

  • 大田刑務所
  • 公州刑務所

警察

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昭和2年(1927年)当時

  • 忠清南道警察部
    • 大田警察署
    • 公州警察署
    • 鳥致院警察署
    • 江景警察署
    • 扶余警察署
    • 舒川警察署
    • 保寧警察署
    • 青陽警察署
    • 洪城警察署
    • 礼山警察署
    • 瑞山警察署
    • 唐津警察署
    • 温陽警察署
    • 天安警察署

憲兵警察制度下における憲兵部隊

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大正4年(1915年)当時

  • 公州憲兵隊
    • 大田憲兵分隊
    • 天安憲兵分隊
    • 礼山憲兵分隊
    • 扶余憲兵分隊

税務

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昭和16年(1941年)当時

税務署

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  • 大田税務署
  • 江景税務署

専売局

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昭和16年(1941年)当時

  • 全州地方専売局大田出張所

日本軍駐屯地

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昭和11年(1936年)の平時編制 

鉄道

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昭和20年(1945年)の路線

総督府鉄道

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私鉄

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道路

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昭和2年(1927年)当時

一等道路

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  • 京城木浦線
  • 天安大邱線

二等道路

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  • 公州忠州線
  • 公州大田線
  • 公州洪州線
  • 天安忠州線
  • 群山瑞山線

港湾

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昭和6年(1931年)当時

地方港

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  • 仙掌港
  • 安興港
  • 鰲川港
  • 炭浦港
  • 大川港

鉱山

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  • 稷山金鉱

神社

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  • 扶余神宮
  • 大田神社
  • 江景神社
  • 燕岐神社
  • 公州神社
  • 天安神社
  • 成歓神社
  • 舒川神社
  • 瑞山神社

企業

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道内に本社を有する資本金50万円以上の企業である(昭和15年・1940年当時)

農林水産業

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  • 南鮮興業
  • 海外拓殖
  • 朝永土地
  • 忠南興業

鉱業

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  • 朝鮮中央鉱業
  • 成歓鉱業
  • 合井金山

製造業

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  • 忠南製糸
  • 鳥致院酒造

運輸業

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  • 朝鮮京南鉄道
  • 忠南自動車運輸

卸売小売業

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  • 朝鮮物産

金融業

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  • 朝鮮産業

マスメディア

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ラジオ放送局

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昭和20年(1945年)8月当時

  • 朝鮮放送協会大田放送局(呼出符号:JBIK)
  • 朝鮮放送協会瑞山補助放送所

日本語新聞

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昭和16年(1941年)当時

出身有名人

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この時代に生まれ育つか、または活躍した者を掲載

関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『朝鮮国勢調査速報. 昭和10年 世帯及人口』朝鮮総督府、1935年。NDLJP:1278281 


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