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志熊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

志熊 三郎[1](しくま さぶろう[2][3]1895年明治28年〉2月28日[4] - 1978年〈昭和53年[5]〉)は、日本検察官弁護士公証人[2][6]

経歴

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広島県広島市出身[7][8]。志熊直人の息子[注 1]。広島市段原町(現・比治山町)の比治山神社社掌・志熊三郎が1915年に亡くなり、当主の三郎がその後を継承する[1]

高等師範学校附属中学校を経て[1]1916年第三高等学校大学予科を卒業[9]1919年東京帝国大学法学部英法科を卒業[4][10]三菱造船に入る[7]

1922年、司法官試補に任ぜられる[4]1924年、検事に任ぜられる[4]1925年釧路地方裁判所検事に補せられる[4]1929年台湾総督府検察官に任ぜられ、台北地方法院検察官に補せられる[4]。台中地方法院検察官、台南地方法院嘉義支部上席検察官、高雄地方法院検察官長を経て1943年、新竹地方院検察官[10]

1946年、弁護士を開業[2][3]1948年広島高検検事に任官[2][3]1955年、退官、公証人となる[2][3]

人物

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趣味はゴルフ[2]庭球、散歩、囲碁[3][6][7]。宗教は神道[2][3][7][8]。住所は広島県尾道市十四日町[2]、同市長江2丁目[3]、同市土堂町[6]

家族・親族

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志熊家
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第24版 上』や『人事興信録 第25版 上』では長男[2][3]、『人事興信録 第16版 上』や『日本紳士録 第52版』では三男[6][7]である。

出典

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  1. ^ a b c 『広島県紳士名鑑』190頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第24版 上』し6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第25版 上』し6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『台湾人士鑑』161頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月9日閲覧。
  5. ^ 『自由と正義 No.13 Vol.29』89頁。
  6. ^ a b c d 『日本紳士録 第52版』し83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月26日閲覧。
  7. ^ a b c d e 『人事興信録 第16版 上』し2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月21日閲覧。
  8. ^ a b c 『人事興信録 第18版 上』し3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月30日閲覧。
  9. ^ 『第三高等学校一覧 大正8年9月起大正9年8月止』大正五年卒業生317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月21日閲覧。
  10. ^ a b 『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』台湾31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年4月9日閲覧。

参考文献

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  • 第三高等学校編『第三高等学校一覧 大正8年9月起大正9年8月止』第三高等学校、1912 - 1926年。
  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 台湾新民報社編『台湾人士鑑』台湾新民報社、1937年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第16版 上』人事興信所、1951年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第18版 上』人事興信所、1955年。
  • 藤井麟太郎『日本紳士録 第52版』交詢社、1960年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第24版 上』人事興信所、1968年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
  • 『自由と正義 No.13 Vol.29』日本弁護士連合会、1978年。