志方勢七
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志方 勢七(しかた せいしち、1860年11月6日(万延元年9月24日) - 1921年(大正10年)9月25日)は、日本の実業家。摂津製油社長や、日本綿花社長を務めた。
人物・経歴
[編集]兵庫県出身[1][2]。大阪初の小学校である西大組第六番校(のちの靱小学校)に学び、同窓に金沢仁作、大林芳五郎、田中市太郎らがいた[3]。摂津製油社長に就任し[1][2]、1896年の大阪瓦斯設立時には発起人を務めた[4]。1907年に箕面有馬電気軌道が設立されると同社取締役に就任[5]。同年豊田佐吉の豊田式織機(現・豊和工業)設立に際して発起人となり、設立後には取締役に就任[1][2][6]。1910年からは日本綿花社長を務め、フォートワース、青島市、天津市での出張所開設などを進めた[7]。1920年大同電力取締役。日本水力取締役[8]、日本火災保険取締役[9]、泉尾綿毛製紙会長、和泉紡績取締役等も歴任した[1][2]。死後邸宅を改装して大阪星ヶ岡茶寮が作られた[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 志方 勢七(読み)シカタ セイシチ20世紀日本人名事典の解説
- ^ a b c d 「志方勢七(読み)しかた せいしち」デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
- ^ 「第一節 大林芳五郎―おいたち」
- ^ 「大阪瓦斯(株)『大阪瓦斯五十年史』(1955.10)」渋沢社史データベース
- ^ 「京阪神急行電鉄(株)『京阪神急行電鉄五十年史』(1959.06)」渋沢社史データベース
- ^ 第1項 豊田式織機株式会社における挫折トヨタ自動車
- ^ 「日綿実業(株)『日綿70年史』(1962.11)」渋沢社史データベース
- ^ 『大同電力株式会社沿革史』、41-42頁
- ^ 日本火災海上保険(株)『日本火災海上保険株式会社70年史. 年表索引』([1964)]渋沢社史データベース
- ^ 北摂の商業・産業の中心地へ三井住友トラスト不動産
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