徳蔵寺 (茨城県城里町)
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徳蔵寺 | |
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所在地 | 茨城県東茨城郡城里町徳蔵874 |
位置 | 北緯36度27分26.4秒 東経140度14分57.8秒 / 北緯36.457333度 東経140.249389度座標: 北緯36度27分26.4秒 東経140度14分57.8秒 / 北緯36.457333度 東経140.249389度 |
山号 | 引布山 |
院号 | 金剛光院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建年 | 弘仁年間(810年 - 824年) |
開山 | 弘法大師空海 |
中興年 | 大永2年(1522年) |
中興 | 空法 |
別称 | 徳蔵大師 |
文化財 | 木造弘法大師像、両界曼荼羅版木、礼盤(以上、茨城県指定文化財)、徳蔵寺の駕籠、大師堂(以上、城里町指定文化財) |
法人番号 | 9050005001971 |
徳蔵寺(とくぞうじ)は、茨城県東茨城郡城里町にある真言宗智山派の寺院。
歴史
[編集]弘仁年間(810年 - 824年)、弘法大師空海によって開山された。その後、順調に寺運興隆していったが、笠間の正福寺とは犬猿の仲で、度々武力抗争が繰り広げられていた。正福寺は勢力が劣勢だったことから、宇都宮頼綱に援軍を依頼し、1205年(元久2年)に正福寺・宇都宮連合軍は当寺を攻め、廃寺に追いやった。ところが、その後正福寺と宇都宮氏は仲違いし、宇都宮氏は正福寺を攻め、結局両寺とも廃寺になってしまった[1]。
1522年(大永2年)、空法によって再興された。また正福寺も再興されて現在に至っている[1]。
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本堂
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薬師堂
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薬師堂(近影)
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観音堂
文化財
[編集]- 木造弘法大師像(茨城県指定文化財 昭和37年2月26日指定)[2]
- 両界曼荼羅版木(茨城県指定文化財 昭和37年2月26日指定)[3]
- 礼盤(茨城県指定文化財 昭和37年2月26日指定)[4]
- 徳蔵寺の駕籠(城里町指定文化財 昭和58年3月31日指定)[5]
- 大師堂(城里町指定文化財 平成元年3月15日指定)[6]
交通アクセス
[編集]- 路線バス徳蔵局前停留所より徒歩9分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年