徳川光子
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徳川 光子(とくがわ あきこ、1819年6月19日(文政2年閏4月27日)[1] - 1906年(明治39年)10月26日)は、江戸時代後期から明治時代の女性。田安徳川家当主・徳川慶頼の正室。父は閑院宮孝仁親王。母は鷹司吉子。
旧名は佳子女王(よしこじょおう)。幼称は睦宮。別名は直子。睦宮佳子とも表記される。
生涯
[編集]閑院宮孝仁親王の三女として生まれる。母は鷹司政煕の娘である鷹司吉子。1846年(弘化3年)に江戸で田安徳川家当主・徳川慶頼の正室となる[2]。
1906年(明治39年)10月26日、死去。享年87。墓所は東京都台東区の寛永寺[3]。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.161
- ^ 『旧華族家資料所在調查報告書 第3巻』(1993年、学習院大学史料館)[要ページ番号]
- ^ 『徳川諸家系譜』(1984年、続群書類従完成会)[要文献特定詳細情報][要ページ番号]