徳川亀松
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徳川 亀松(とくがわ かめまつ、寛永20年2月29日(1643年4月17日)? - 正保4年8月4日(1647年9月2日))は、江戸時代前期の徳川氏の一族。徳川家光の次男(または三男)。徳川家綱・徳川綱重・千代姫の異母弟。徳川綱吉・徳川鶴松の異母兄。
生年には2説がある。『徳川幕府家譜』では寛永20年、『徳川実紀』『江戸幕府日記』等では正保2年2月29日(1645年3月26日)とある[1]。前者の場合は綱重より年長となるため綱重の異母兄、後者の場合は異母弟とされている[1]。また生母は綱吉と同じお玉の方(桂昌院)とされているが[2]、『徳川実紀』および『以貴小伝』においては、生母は「まさの局(おまさの方) 」と記されている。
生まれた年の9月11日に宮参りをするが、正保4年8月4日に5歳(または3歳)で夭逝した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 藤井譲治『徳川家光』吉川弘文館人物叢書、1997年。ISBN 4-642-05206-2