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徳増源太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳増 源太郎(とくます げんたろう、1861年5月17日文久元年4月8日[1]) - 1900年明治33年)3月26日[2][注 1])は、明治時代の政治家自由民権運動家衆議院議員

経歴

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徳増七右衛門の長男として相模国鎌倉郡笛田村(神奈川県鎌倉郡深沢村を経て現鎌倉市)に生まれ、1880年(明治13年)1月、家督を相続する[1]。若くして村役人を務め、1884年(明治17年)神奈川県自由党に入党[1]1890年(明治23年)深沢村会議員となり、ついで神奈川県会議員を務めた[1]神奈川県立師範学校の鎌倉への移転に尽力した[1]

1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では神奈川県第4区から出馬し当選[2]。つづく第5回第6回総選挙でも当選した[2]。地租増徴に猛反対し党内でも注目されていたが[1]、3期目途中の1899年(明治32年)8月15日に辞職し[3]、翌年死去した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 『神奈川県史 別編1 人物』513頁では明治33年9月没。

出典

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参考文献

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