御諸別王
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時代 | 古墳時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 大御諸別命、御諸別命、弥母里別命 |
官位 | 上毛野国造 |
主君 | 景行天皇 |
氏族 | 上毛野君・下毛野君等祖 |
父母 | 父:彦狭島王[1] |
御諸別王(みもろわけのみこ[2]、生没年不詳)は、『日本書紀』等に伝わる古墳時代の皇族(王族)。
豊城入彦命(崇神天皇皇子)の三世孫で毛野氏の祖。『日本書紀』にのみ王の尊号で表記され、他文献では大御諸別命、御諸別命、弥母里別命(みもりわけのみこと)と命の尊号で表記される。
記録
[編集]『日本書紀』景行天皇56年8月条によると、任地に赴く前に亡くなった父の彦狭島王に代わり、東国統治を命じられ善政をしいたという。蝦夷の騒動に対しても速やかに平定したことや、子孫は東国にある旨が記載されている。
後裔氏族
[編集]『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
- 皇別 摂津国 韓矢田部造 - 上毛野朝臣同祖。豊城入彦命の後。三世孫弥母里別命孫の現古君、(中略)、因茲賜韓矢田部造姓。
- 皇別 和泉国 珍県主 - 佐代公同祖。豊城入彦命三世孫の御諸別命の後。
- 皇別 和泉国 葛原部 - 佐代公同祖。豊城入彦命三世孫の大御諸別命の後。
考証
[編集]『先代旧事本紀』「国造本紀」針間鴨国造条では「上毛野同祖の御穂別命の子の市入別命を国造に定めた」とあるが、この「御穂別命」は「御諸別命」の誤記とする説がある[3]。
脚注
[編集]- ^ 『日本書紀』景行天皇紀
- ^ 御諸別王(古代氏族) & 2010年.
- ^ 針間鴨国造(播磨)(日本辞典)
参考文献
[編集]- 「御諸別王」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。