御井町
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みいまち 御井町 | |
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廃止日 | 1943年10月1日 |
廃止理由 |
編入合併 御井町 → 久留米市 |
現在の自治体 | 久留米市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 三井郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 久留米市(野中町、国分町)、合川村、山川村、山本村、高良内村 |
御井町役場 | |
所在地 | 福岡県三井郡御井町 |
座標 | 北緯33度17分49秒 東経130度32分57秒 / 北緯33.29692度 東経130.54911度座標: 北緯33度17分49秒 東経130度32分57秒 / 北緯33.29692度 東経130.54911度 |
ウィキプロジェクト |
御井町(みいまち)は、福岡県三井郡にあった町。現在の久留米市の中央部にある地域。
現在の久留米市の行政区分(大字)としては、御井町・朝妻町・御井旗崎一丁目 - 五丁目・御井朝妻一丁目(御井町以外は住居表示実施済区域)に対応する。
御井町の特徴
[編集]西鉄久留米駅の東側約3kmの場所に位置し、高良大社のある高良山の麓に街並みが広がっている。
久留米大学御井キャンパスを中心として、久留米大学生の学生アパートや下宿をはじめ、久留米大学附設中学校・高等学校、南筑高校、御井小学校などの教育施設のある文教地区である。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]かつてこの地域にあった井戸の呼び名である「御井戸」が「御井」に変化したと言われている。神功皇后が三韓征伐より凱旋した折、この地で咽を潤したと伝えられている。現在でも清らかな水が流れる小川が残っており、有名なトコロテンの店がある。
また、この付近に律令期の国府が10世紀から11世紀頃存在したと言われており、その頃から街道の駅・分岐点として町を形成していたと考えられる。
行政区域の変遷
[編集]- 1889年4月1日 - 町村制施行により御井町1町がそのまま御井郡御井町として発足。これ以前は府中と呼ばれていた。
- 1896年2月26日[矛盾 ][矛盾 ] - 郡制施行により御井郡が御原郡,山本郡と合併して三井郡御井町となる。
- 1943年10月1日 - 久留米市に編入され、久留米市御井町となる。
- 1988年2月2日[1] - 住居表示の実施により、朝妻町・御井朝妻・御井旗崎を分離。
合併後の主な施設
[編集]- 久留米市役所高牟礼市民センター
- 御井公民館
- 西鉄バス久留米本社(旧矢取営業所)
- 高良大社
- 久留米大学御井キャンパス
- 久留米信愛女学院短期大学
- 久留米市立南筑高等学校
- 久留米大学附設中学校・高等学校
- 久留米信愛女学院中学校・高等学校
- 久留米市立良山中学校(住所は久留米市山川町だが、境に隣接している)
- 久留米市立御井小学校
- 久留米信愛女学院幼稚園
- 永福寺幼稚園
- 久留米東郵便局
- 御井町郵便局
- 農業・食品産業技術総合研究機構九州沖縄農業研究センター 久留米園芸研究拠点
- 久留米ゼミナール若者自立塾
- 陸軍第12師団 独立工兵第18大隊(爆弾三勇士)
以前はJAくるめ御井支所や福岡銀行の特別出張所も存在していた。
交通
[編集]鉄道
[編集]九州旅客鉄道(JR九州)久大本線が町内を東西に通っている。町域北部に久留米大学前駅、町域東端部に御井駅がある。
道路
[編集]久大本線に並行して道路が通っている(旧国道210号。現在の管理元は区間により異なり、一本の道路ではない)。高速道路としては九州自動車道が町内を南北に通っており、町のすぐ北部に久留米インターチェンジがある。以下、カッコ内に旧街道との対応を記す(一部不一致)。
- 国道210号(現在の210号は御井町から離れている。日田街道中道)
- 国道322号(久留米インターチェンジに接続。秋月街道)
- 福岡県道53号久留米筑紫野線(大宰府への街道。県道86号と併せて坊津街道)
- 福岡県道86号久留米筑後線(律令時代からの街道。坊津街道)
- 福岡県道151号浮羽草野久留米線(日田街道山辺道)
- 福岡県道750号御井諏訪野線(参勤交代時代の久留米城下バイパス道。府中街道)
- 福岡県道800号湯ノ原合川線
バス
[編集]- 西鉄バス久留米の路線がある。
脚注
[編集]- ^ “久留米市住居表示設定地区”. 久留米市. 2012年10月8日閲覧。