後川聡之
基本情報 | |
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本名 | 後川 聡之 |
身長 | 175cm |
体重 | 80kg |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1968年11月18日(55歳) |
出身地 | 大阪府 |
スタイル | フルコンタクト空手 |
後川 聡之(あとかわ としゆき、男性、1968年11月18日 - )は、日本の空手家(五段)、元キックボクサー。大阪府出身。正道会館[1]を経て、現在は自流である修道会館を設立。
K-1では、日本人で唯一、K-1・K-2・K-2 PLUS・K-3の4階級に参戦した[1]。
来歴
[編集]19歳で正道会館総本部に入門し、1年9か月で黒帯を取得した[1]。
1990年9月30日、正道会館が主催した第9回全日本選手権大会に出場。決勝で田上敬久に勝利し、入門3年半で初優勝を果たした[1]。
1991年10月10日、正道会館が主催したカラテワールドカップ '91(全日本選手権大会より改称)に出場。決勝でアダム・ワットに勝利し2連覇を果たした。
1993年1月31日、東京武道館で開催された「第2回トーワ杯争奪カラテ・ジャパン・オープン」に出場。準決勝で佐竹雅昭に延長の末0-3の判定負けとなり、3位決定戦は村上竜司の棄権のため3位となった[3]。
1993年2月28日、リングス「後楽園実験リーグ'93 ROUND 1」のメインイベントで平直行と3分5Rの混成ルール(1・2・5Rは肘打ちなしのキックルール、3・4Rはリングスルール)で対戦し、1-0の判定ドローとなった[2]。
1993年3月30日、聖戦 〜SANCTUARY I〜でスタン・ザ・マンと対戦し、TKO負けを喫した。
1993年4月30日、第1回K-1グランプリに参戦。負傷欠場となったスタン・ザ・マンの代わりに1回戦でモーリス・スミスと対戦し、3Rに右ストレートでダウンを奪われた上で0-3の判定負けを喫した[4]。
1993年10月3日、カラテワールドカップ '93に出場。1回戦でジェラルド・ゴルドー、準々決勝でサム・グレコに勝利するも、準決勝でアンディ・フグに判定負けを喫した。
1993年12月10日、K-2 GRAND PRIX '93に出場。1回戦でタシス"トスカ"ペトリディスと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
1994年1月30日、東京武道館で開催された「第3回トーワ杯争奪カラテ・ジャパン・オープン」に出場。決勝で金泰泳に勝利し、優勝を果たした。
1994年3月4日、K-1 CHALLENGEで行なわれたWKAインターコンチネンタルスーパーライトヘビー級王座決定戦でアンドレ・マナートと対戦し、3Rに左ストレートでダウンを奪われた上で0-3の判定負けを喫した[5]。
1994年9月18日、K-1 REVENGEで9か月ぶりにタシス"トスカ"ペトリディスと再戦。リベンジを目指したが、右目尻カットによるドクターストップで返り討ちにあった[6]。
1995年3月3日、K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦で金玉鐘に右膝蹴りによるKO勝ち[7]。5月4日の準々決勝ではピーター・アーツに右アッパーによるKO負けを喫した[8]。
1995年6月10日、スイス・チューリッヒで開催されたK-1 FIGHT NIGHTでユン・マークスと対戦し、右アッパーによるKO勝ちを収めた[9]。
1995年7月16日、K-1 LEGEND 翔で行なわれたK-3 GRAND PRIXに出場。1回戦でキース"ペレ"ネイサンに1Rに左フックでダウンを奪われるも2-0の判定勝ちを収めるも、準決勝でイワン・ヒポリットに0-3の判定負けを喫した[10]。
1995年10月8日、大阪で行われた「カラテワールドカップ '95」に出場。決勝で金泰泳に敗れ、準優勝となった。
1996年6月2日、スイス・チューリッヒで開催されたK-1 FIGHT NIGHT IIでオーランド・ウィットと対戦し、タオル投入によるTKO負けを喫した[11]。
1997年に現役を引退し、2000年4月に正道会館東大阪本部を設立した[1]。その後、K-1のレフェリーを務めていた時期もある。
2015年12月30日、正道会館から独立し、翌年の2016年に自流である「修道会館」を設立。
戦績
[編集]キックボクシング
[編集]キックボクシング 戦績 | ||||||
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15 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
5 勝 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | |
10 敗 | 4 | 6 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | オーランド・ウィット | 2R 0:30 TKO(タオル投入) | K-1 FIGHT NIGHT II | 1996年6月2日 |
× | イワン・ヒポリット | 再延長R終了 判定0-3 | K-1 LEGEND 翔 【K-3 GRAND PRIX 準決勝】 |
1995年7月16日 |
○ | キース"ペレ"ネイサン | 3R終了 判定2-0 | K-1 LEGEND 翔 【K-3 GRAND PRIX 1回戦】 |
1995年7月16日 |
○ | ユン・マークス | 2R KO(右アッパー) | K-1 FIGHT NIGHT | 1995年6月10日 |
× | ピーター・アーツ | 1R 1:02 KO(右アッパー) | K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦 【準々決勝】 |
1995年5月4日 |
○ | 金玉鐘 | 1R 2:42 KO(右膝蹴り) | K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦 【1回戦】 |
1995年3月3日 |
× | タシス"トスカ"ペトリディス | 5R 1:32 TKO(ドクターストップ:右目尻カット) | K-1 REVENGE | 1994年9月18日 |
× | アンドレ・マナート | 5R終了 判定3-0 | K-1 CHALLENGE 【WKAインターコンチネンタルスーパーライトヘビー級王座決定戦】 |
1994年3月4日 |
× | タシス"トスカ"ペトリディス | 3R終了 判定0-3 | K-2 GRAND PRIX '93 【1回戦】 |
1993年12月10日 |
○ | ロニー・デロン | 5R終了 判定3-0 | ANDY'S GLOVE | 1993年11月15日 |
× | チャンプア・ゲッソンリット | 3分5R終了 判定0-3 | K-1 ILLUSION 風林火山 "林の章" | 1993年9月4日 |
○ | ジョーン・チャニオティス | 判定 | BATTLE OF CHAMPIONS | 1993年7月25日 |
× | ボブ・シュライバー | 5R終了 判定 | リングス「実験リーグ'93 Round3」 【キックボクシングルール】 |
1993年6月9日 |
× | モーリス・スミス | 3R終了 判定0-3 | K-1 GRAND PRIX '93 【1回戦】 |
1993年4月30日 |
× | スタン・ザ・マン | 5R 2:22 TKO(レフェリーストップ) | 聖戦 〜SANCTUARY I〜 | 1993年3月30日 |
空手
[編集]勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
○ | 金泰泳 | 本戦終了 判定0-4 | カラテワールドカップ '95 【決勝】 |
1995年10月8日 |
○ | 子安慎悟 | 延長終了 判定5-0 | カラテワールドカップ '95 【準決勝】 |
1995年10月8日 |
○ | 春山成千 | 本戦終了 判定3-0 | カラテワールドカップ '95 【準々決勝】 |
1995年10月8日 |
○ | 鈴木修司 | 延長終了 判定5-0 | カラテワールドカップ '95 【3回戦】 |
1995年10月8日 |
× | アンディ・フグ | 延長R終了 判定0-4 | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【準決勝】 |
1993年10月3日 |
○ | サム・グレコ | 体重判定 | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【準々決勝】 |
1993年10月3日 |
○ | ジェラルド・ゴルドー | 本戦終了 判定5-0 | カラテワールドカップ '93 風林火山 "火の章" 【1回戦】 |
1993年10月3日 |
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総合格闘技
[編集]勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
△ | 平直行 | 3分5R終了 判定1-0 | リングス「後楽園実験リーグ'93 ROUND 1」【混成ルール】 | 1993年2月28日 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e 道場紹介 正道会館東大阪本部
- ^ a b 格闘技通信 1993年4月8日号 3-9頁
- ^ 格闘技通信 1993年3月8日号 3-10、103-109頁
- ^ K-1 GRAND PRIX '93 K-1公式サイト
- ^ K-1 CHALLENGE K-1公式サイト
- ^ K-1 REVENGE K-1公式サイト
- ^ K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦 K-1公式サイト
- ^ K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦 K-1公式サイト
- ^ K-1 FIGHT NIGHT K-1公式サイト
- ^ K-1 LEGEND 翔 K-1公式サイト
- ^ K-1 Fight Night II K-1公式サイト