彼は復讐を忘れたか
彼は復讐を忘れたか | |
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監督 | 悪麗之助 |
脚本 | 悪麗之助 |
原作 | 悪麗之助 |
出演者 | 河原崎権三郎 |
撮影 | 玉井正夫 |
製作会社 | 大阪港パーク撮影所 |
配給 | 不明 |
公開 | 1927年7月31日 |
上映時間 | 不明 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『彼は復讐を忘れたか』(かれはふくしゅうをわすれたか)は、1927年(昭和2年)製作・公開、悪麗之助監督による日本の長編劇映画、サイレント映画であり、1931年(昭和6年)製作・公開、星哲六監督によるリメイク映画である。前者は剣戟俳優・羅門光三郎のデビュー作として知られる[1]。
略歴・概要
[編集]阪東妻三郎プロダクション、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画で監督を務めていた悪麗之助が1927年(昭和2年)に独立し、大阪港パーク撮影所として製作した作品である。撮影技師の玉井正夫は、同年解散した古海卓二が主宰した第一線映画聯盟から合流、撮影に参加した[2]。本作は、同年7月31日、神戸の神戸キネマ倶楽部等で公開されたが、配給について、上映時間等のディテールは不明である[3]。
本作は、公開の4年後の1931年(昭和6年)、当時、悪麗之助は病床にあり、脚本のみを提供していた松竹下加茂撮影所がリメイクした。松竹キネマが配給し、同年3月20日に浅草公園六区・松竹館をフラッグシップに公開された[4]。悪は同年10月26日に満29歳で死去した[5]。
本作の上映用プリントは、オリジナル・リメイクいずれのヴァージョンも、現在、東京国立近代美術館フィルムセンターにも[6]、マツダ映画社にも所蔵されていない[7]。現存しないとされる映画を中心に、玩具映画を発掘・復元する大阪藝術大学のリストにも存在しない[8]。現状、観賞することの不可能な作品である。
スタッフ・作品データ
[編集]- 監督・原作・脚色 : 悪麗之助
- 撮影 : 玉井正夫
- 製作 : 大阪港パーク撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 不明
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント映画
- 公開日 : 日本 1927年7月31日
- 配給 : 不明
- 初回興行 : 神戸・神戸キネマ倶楽部
キャスト
[編集]1931年版
[編集]彼は復讐を忘れたか | |
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監督 | 星哲六 |
脚本 | 木村富士夫 |
原作 | 悪麗之助 |
出演者 | 高田浩吉 |
撮影 | 円谷英二 |
製作会社 | 松竹下加茂撮影所 |
配給 | 松竹キネマ |
公開 | 1931年3月20日 |
上映時間 | 66分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『彼は復讐を忘れたか』(かれはふくしゅうをわすれたか)は、1931年(昭和6年)製作・公開、星哲六監督による日本の長編劇映画、サイレント映画であり、1927年(昭和2年)製作・公開、悪麗之助監督による同名の映画を原作としたリメイク作品である。
スタッフ・作品データ
[編集]- 監督 : 星哲六
- 脚色 : 木村富士夫
- 原作 : 悪麗之助
- 撮影 : 円谷英二
- 製作 : 松竹下加茂撮影所
- 上映時間(巻数 / メートル) : 66分[9](6巻 / 1,828メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.33:1) - サイレント映画
- 初回興行 : 浅草・松竹館
キャスト
[編集]註
[編集]- ^ 菅家紅葉氏談話、立命館大学、2010年2月15日閲覧。
- ^ 玉井正夫、日本映画データベース、2010年2月15日閲覧。
- ^ 彼は復讐を忘れたか 1927、日本映画データベース、2010年2月15日閲覧。
- ^ 彼は復讐を忘れたか 1931、日本映画データベース、2010年2月15日閲覧。
- ^ 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年、p.11,「悪麗之助」の項(執筆竹中労)。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月15日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇、マツダ映画社、2010年2月15日閲覧。
- ^ 玩具映画フィルム・リスト、大阪藝術大学、2010年2月15日閲覧。
- ^ Film Calculator Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.換算結果、コダック、2010年2月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- オリジナル(1927年)
- リメイク(1931年)