当麻智徳
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時代 | 飛鳥時代 - 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 和銅4年5月11日(711年6月1日) |
別名 | 智得 |
官位 | 従四位上 |
主君 | 持統天皇→文武天皇→元明天皇 |
氏族 | 当麻氏 |
父母 | 父:当摩広麻呂 |
当麻 智徳(たいま の ちとこ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は智得とも記される。贈直大壱・当摩広麻呂の子とする系図がある[1]。位階は従四位上。
経歴
[編集]持統天皇2年(688年)天武天皇の葬礼において皇祖の日継の次第(皇統譜)を誄にして奉り礼式のように行った(この時の冠位は直広肆)[2]。持統天皇6年(692年)持統天皇の伊勢行幸に際して、紀弓張らと共に留守官を務める[3]。
大宝元年(701年)大宝令における位階制度の制定を通じて従四位上に叙せられる。大宝3年(703年)持統天皇の葬儀において、諸王諸臣を率いて誄を奉り[4]、慶雲4年(707年)文武天皇の葬儀でも同じく誄を奉っている[5]。
官歴
[編集]『六国史』による。