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当麻智徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
当麻智徳
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不明
死没 和銅4年5月11日711年6月1日
別名 智得
官位 従四位上
主君 持統天皇文武天皇元明天皇
氏族 当麻氏
父母 父:当摩広麻呂
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当麻 智徳(たいま の ちとこ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は智得とも記される。直大壱当摩広麻呂の子とする系図がある[1]位階従四位上

経歴

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持統天皇2年(688年天武天皇の葬礼において皇祖の日継の次第(皇統譜)をにして奉り礼式のように行った(この時の冠位は直広肆)[2]。持統天皇6年(692年)持統天皇の伊勢行幸に際して、紀弓張らと共に留守官を務める[3]

大宝元年(701年大宝令における位階制度の制定を通じて従四位上に叙せられる。大宝3年(703年)持統天皇の葬儀において、諸王諸臣を率いて誄を奉り[4]、慶雲4年(707年文武天皇の葬儀でも同じく誄を奉っている[5]

和銅4年(711年)5月11日卒去。最終位階は従四位上。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 宝賀[1986: 108]
  2. ^ 『続日本紀』持統天皇2年11月11日条
  3. ^ 『続日本紀』持統天皇6年3月3日条
  4. ^ 『続日本紀』大宝3年12月17日条
  5. ^ 『続日本紀』慶雲4年11月10日条

参考文献

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