コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

当幌駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
当幌駅
とうほろ
Tōhoro
開栄 (4.6 km)
(6.4 km) 中標津
所在地 北海道標津郡中標津町字当幌本通
北緯43度30分46秒 東経144度54分57秒 / 北緯43.51278度 東経144.91583度 / 43.51278; 144.91583
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 標津線
キロ程 40.7 km(標茶起点)
電報略号 タホ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1937年昭和12年)10月30日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)4月30日[1]
備考 標津線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の当幌駅と周囲約500m範囲。右上が中標津方面。駅裏にかつての殖民軌道計根別線の路盤跡が見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

当幌駅(とうほろえき)は、かつて北海道標津郡中標津町字当幌本通に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線廃駅)である。電報略号タホ事務管理コードは▲111704[2]

歴史

[編集]

駅名の由来

[編集]

アイヌ語に由来するが諸説ある。

  1. 「トホロ(to-horo)」(沼・川)[8]
    • 道東のアイヌ語方言で「ホロ(horo)」は川を表していたとされている[8]
  2. 「トオㇿペッ(to-or-pet)」(沼・ある・川)[9][3]

駅構造

[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有した。駅舎は構内の南東側(標茶方面に向かって左側)の中標津寄りに有った。

貨物及び荷物取り扱い廃止までは、駅舎側に貨物積降線がホームへの地上の連絡通路手前まで標茶側から引き込まれていた。荷扱い廃止後、貨物積降線が撤去されて島状の単式ホームとなった。

また、北西側(駅舎とは本線を隔てて反対側)の敷地内に、ほぼ平行に殖民軌道計根別線の路盤跡が残されていた。

利用状況

[編集]

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 27 [10]

駅周辺

[編集]

現状

[編集]
  • 駅舎やホームはなくなっているが、駅前広場が残っている。

隣の駅

[編集]
北海道旅客鉄道
標津線
開栄駅 - 当幌駅 - 中標津駅

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、927頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年4月2日閲覧 
  3. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、168頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、1064-1065頁。doi:10.11501/9570446https://doi.org/10.11501/95704462023年4月15日閲覧 
  5. ^ 「標津線三駅に請負制度実施」『交通新聞』交通協力会、1959年4月5日、1面。
  6. ^ 『釧路鉄道管理局史』日本国有鉄道釧路鉄道管理局、1972年10月14日、58頁。doi:10.11501/12757877 
  7. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  8. ^ a b アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月3日閲覧。
  9. ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 168. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 
  10. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、917頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 

関連項目

[編集]