コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

張聯文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
張連文から転送)
張聯文
『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年)
プロフィール
出生: 1895年光緒21年)11月12日[1][2][3][4]
死去: 没年不詳
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区金州 [1][2][3][4]
職業: 軍人
各種表記
繁体字 張聯文
簡体字 张联文
拼音 Zhāng Lián-wén
ラテン字 Chang Lien-wen
和名表記: ちょう れんぶん
発音転記: チャン・リエンウェン
テンプレートを表示

張 聯文(ちょう れんぶん、1895年11月12日 – 没年不詳)は、中華民国満洲国の官僚。満洲国では熱河省長新京特別市長をつとめた。奉天派で文治派のリーダーだった王永江の外甥(妻方の甥)にあたる。

事績

[編集]

遼陽警務学校を卒業。奉天税捐局局長、海竜県長、荘河塩務場場長を歴任した。満洲事変後に奉天省政府参議となり、満洲国建国後の1932年大同元年)8月、奉天省総務庁人事科長となる[4]。以後、民政部で参事官、社会司長、恩賞局長を歴任(兼任)する。

1941年康徳8年)1月16日、熱河省長に起用される[5]。翌1942年(康徳9年)7月18日、禁煙総局長に転出したが[6]、直後の9月28日、新京特別市長に抜擢された[7]。満洲国崩壊が目前に迫った8月10日(または11日)、張聯文は市長を更迭され、于鏡濤が後任市長となっている。理由は、張は人当たりが良いものの、戦時対応には「不適当」と見なされたため、とされる[8]

満洲国崩壊後に張聯文はソ連軍により逮捕され、シベリアの収容所に収監された[1]。その後の行方は不詳となっている。なお、1950年前後における中華人民共和国への満洲国要人引渡しに張が含まれていたとの情報は無い。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c 孫(1990)、58頁。
  2. ^ a b 満蒙資料協会編(1943)、1038頁。
  3. ^ a b 帝国秘密探偵社編(1943)、「満洲」186頁。
  4. ^ a b c 挙国社(1934)。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、124頁。
  6. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、151頁。
  7. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、155頁。
  8. ^ 成田(1983)、13頁。

参考文献

[編集]
  • 孫棫蔚「偽満州国大臣省長的大連人」『大連文史資料 第7輯』大連市政協文史資料委員会、1990年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。 
  • 『大満洲帝国名鑑 昭和九年版』挙国社、1934年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 成田精太『瓦解 (満洲叢書 祖国への道 2)』国書刊行会、1983年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
王允卿
熱河省長
1941年1月16日 - 1942年7月18日
次代
馬冠標
先代
金名世
新京特別市長
1942年9月28日 - 1945年8月10日?
次代
于鏡濤