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馬冠標

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬冠標
『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年)
プロフィール
出生: 1891年光緒17年)[1][2][3]
死去: 没年不詳
出身地: 清の旗 北京[1][2][4]
職業: 教育者・官僚・ジャーナリスト
各種表記
繁体字 馬冠標
簡体字 马冠标
拼音 Mǎ Guānbiāo
ラテン字 Ma Kuan-piao
和名表記: ば かんひょう/ば かんぴょう
発音転記: マー・クワンピャオ(マー・グワンビャオ)
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馬 冠標(ば かんひょう/ば かんぴょう、1891年 [3] – 没年不詳)は、中華民国満洲国の教育者・官僚・ジャーナリスト。別号は虎臣[4]

事績

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日本に留学し、東京高等師範学校を卒業。瀋陽高等師範学校教授、旅順工科大学予科嘱託生徒監心得、南満教育会教科書編集部員を歴任している[2]。その後、一時は『泰東日報』編集局長となるが、また教育畑に戻って東北大学学監兼教授、東省特別区第二中学校長、大同学院嘱託を歴任した[1]

1935年(康徳2年)2月26日、吉林省で高等師範学校長に任命される[5]。翌1936年(康徳3年)8月17日、吉林省教育庁長に改任され[6]、その後も安東省民政庁長(後、民生庁長と改称)、奉天省民生庁長、総務庁官房参事官を歴任した[1]1942年(康徳9年)7月18日、馬冠標は熱河省長に抜擢された[7]1943年(康徳10年)9月13日、熱河省長を退任して政界を離れることになり、建国大学教授に改めて任命された[8]

以後、馬冠標の行方は不詳である。

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 満蒙資料協会編(1943)、1203頁。
  2. ^ a b c 帝国秘密探偵社編(1943)、「満洲」228頁。
  3. ^ a b 尾崎監修(1940)は「1889年(光緒15年)生まれ」としているが、満蒙資料協会編(1943)と帝国秘密探偵社編(1943)に従う。
  4. ^ a b 尾崎監修(1940)、35頁。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、42頁。
  6. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、61頁。
  7. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、151頁。
  8. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、169頁。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  満州国
先代
張聯文
熱河省長
1942年7月18日 - 1943年9月13日
次代
姜全我