馬冠標
表示
馬冠標 | |
---|---|
『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年) | |
プロフィール | |
出生: | 1891年(光緒17年)[1][2][3] |
死去: | 没年不詳 |
出身地: | 清北京[1][2][4] |
職業: | 教育者・官僚・ジャーナリスト |
各種表記 | |
繁体字: | 馬冠標 |
簡体字: | 马冠标 |
拼音: | Mǎ Guānbiāo |
ラテン字: | Ma Kuan-piao |
和名表記: | ば かんひょう/ば かんぴょう |
発音転記: | マー・クワンピャオ(マー・グワンビャオ) |
馬 冠標(ば かんひょう/ば かんぴょう、1891年 [3] – 没年不詳)は、中華民国・満洲国の教育者・官僚・ジャーナリスト。別号は虎臣[4]。
事績
[編集]日本に留学し、東京高等師範学校を卒業。瀋陽高等師範学校教授、旅順工科大学予科嘱託生徒監心得、南満教育会教科書編集部員を歴任している[2]。その後、一時は『泰東日報』編集局長となるが、また教育畑に戻って東北大学学監兼教授、東省特別区第二中学校長、大同学院嘱託を歴任した[1]。
1935年(康徳2年)2月26日、吉林省で高等師範学校長に任命される[5]。翌1936年(康徳3年)8月17日、吉林省教育庁長に改任され[6]、その後も安東省民政庁長(後、民生庁長と改称)、奉天省民生庁長、総務庁官房参事官を歴任した[1]。1942年(康徳9年)7月18日、馬冠標は熱河省長に抜擢された[7]。1943年(康徳10年)9月13日、熱河省長を退任して政界を離れることになり、建国大学教授に改めて任命された[8]。
以後、馬冠標の行方は不詳である。
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第十四版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 満蒙資料協会編『満洲紳士録 第四版』満蒙資料協会、1943年。
- 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
満州国
|
---|