弥栄神社 (大分市)
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弥栄神社 | |
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所在地 | 大分県大分市上野738 |
位置 | 北緯33度13分20.6秒 東経131度36分30.5秒 / 北緯33.222389度 東経131.608472度座標: 北緯33度13分20.6秒 東経131度36分30.5秒 / 北緯33.222389度 東経131.608472度 |
主祭神 | 須佐之男命、稲田姫命、大国主命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 宝亀2年(771年) |
概要
[編集]JR古国府(ふるごう)駅の北方、県立大分上野丘高校の西隣りに鎮座している。
宝亀2年(771年)、国府の鎮護寺・岩屋寺(現在は廃寺)境内に創建されたとされる[1][2]。
建久年間(1190年-1199年)に疫病退散のため、大友氏初代当主・大友能直が京都の祇園社(八坂神社)を勧請して再興した[1][2]。これが「祇園社(祇園宮)」としての社史の実質的な始まりとなる。
大友氏が「祇園祭り(祇園会)」を奨励し大いに賑わったが、天正14年(1586年)の島津氏の侵攻により、社殿が焼失し、元和4年(1618年)に藩主・竹中重義によって、現在地(律院村)に遷座・再興された[1]。
その後、歴代藩主(竹中氏・日根野氏・大給松平家)が奨励して再び「祇園祭り」が賑わい、柞原八幡宮の中秋祭「浜の市」と共に「二大祭り」と称された[1]。
明治4年(1871年)に「弥栄神社」に改称、明治6年(1873年)に郷社に列格、大正5年(1916年)に県社に昇格[1]。
寛永2年(1625年)に造られた楼門をはじめとして、拝殿・本殿・鳥居など、古い建造物が残っている[3]。