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弥富市立十四山西部小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弥富市立十四山西部小学校
地図北緯35度6分24.8秒 東経136度45分8.1秒 / 北緯35.106889度 東経136.752250度 / 35.106889; 136.752250座標: 北緯35度6分24.8秒 東経136度45分8.1秒 / 北緯35.106889度 東経136.752250度 / 35.106889; 136.752250
過去の名称 十四山村立十四山西部小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 弥富市
設立年月日 1872年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210008675 ウィキデータを編集
所在地 490-1401
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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弥富市立十四山西部小学校(やとみしりつじゅうしやませいぶしょうがっこう)は、愛知県弥富市六條町にある公立小学校

概要

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  • 旧・海部郡十四山村の小学校であり、校区(行政区単位表記)は六條、五斗山、大山、鍋平、三百島、坂中地、鮫ケ地、善太、馬ケ地、鳥ケ地の一部であり、公立中学校の進学先は弥富市立十四山中学校である[1]

沿革

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  • 1872年(明治5年)10月 - 子宝新田に正義学校として開校する。
  • 1873年(明治6年) - 馬ヶ地新田に移転し、学習学校に改称する。
  • 1874年(明治7年) - 坂中学校と竹田学校に分立する。坂中学校は坂中地新田[注釈 1]に校舎を新築する。
  • 1879年(明治12年) - 楽平村の楽平学校を併合する。楽平村、鎌倉新田、佐古木新田、又八新田が校区に加わる。
  • 1881年(明治14年) - 又八新田に又八新田分教場、馬ヶ地新田に馬ヶ地新田分教場を設置する。
  • 1884年(明治17年) - 又八新田分教場と馬ヶ地新田分教場が竹田学校に移管される。
  • 1887年(明治20年) - 尋常小学坂中学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 六条新田、坂中地新田、鮫ヶ地新田、馬ヶ地新田、鎌倉新田、佐古木新田、又八新田、子宝新田、西蜆新田、東蜆新田、四郎兵衛新田、竹田新田、海屋新田、下押萩新田、上押萩新田、亀ヶ地新田が合併し、十四山村が発足する。
    • 東条村、西条村、本部田村、楽平村が合併し、東市江村が発足する。
  • 1892年(明治25年) - 坂中尋常小学校に改称する。
  • 1906年(明治39年)7月1日 -
    • 十四山村のうち、鎌倉新田が彌富町に編入される。
    • 十四山村のうち、佐古木新田、又八新田は、東市江村市腋村(西保、東保)と合併し、市江村が発足する。
    • 宝地村のうち、鳥ヶ地新田、桴場新田、神戸新田が十四山村に編入される。
  • 1907年(明治40年)2月28日 - 十四山西部尋常小学校に改称する。校区の再編が行われ、市江村の楽平、佐古木新田、又八新田は市江尋常小学校へ、彌富町の鎌倉新田は彌富尋常小学校へ移る。校区は十四山村のうち、六条新田、鮫ケ地新田、馬ケ地新田、鳥ケ地新田、坂中地新田などとなる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 十四山西部国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 十四山村立十四山西部小学校に改称する。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 永和村の一部を編入する。旧・永和村の善太新田が校区に加わる。
  • 1959年(昭和34年)9月26日 - 伊勢湾台風により校舎が大破する。校舎校地が水没し、約2か月間休校する。
  • 1961年(昭和36年) - 校舎を新築する。
  • 1972年(昭和47年)10月 - 現在地に校舎を新築し、移転する。
  • 1979年(昭和54年) - 屋内運動場が完成する。
  • 1981年(昭和56年) - 校舎を増築する。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 弥富町が十四山村を編入し市制施行。弥富市となる。同時に弥富市立十四山西部小学校に改称する。

交通アクセス

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周辺施設

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参考文献

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  • 愛知県小中学校長会『新学制十周年記念 愛知県小中学校誌』1957年 pp.227
  • 愛知県小中学校長会『新学制二十周年記念 愛知県小中学校誌』1968年 pp.359

脚注

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注釈

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  1. ^ 現在の十四山保育所付近。

関連項目

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外部リンク

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