建部伊賀麻呂
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建部伊賀麻呂(たけるべのいがまろ、生没年不明)は、8世紀の日本にいた人物である。姓(カバネ)ははじめ公、766年に朝臣。同年に近江国志賀団の大毅で、位階は少初位上であった。
解説
[編集]『続日本紀』の天平神護2年(766年)7月26日条に、近江国志賀団大毅少初位上建部公伊賀麻呂が、姓朝臣を賜ったとだけある[1]。
志賀団は滋賀郡に所在した軍団で、大毅はその長である。大毅は地元の有力者が任じられる職であるから、伊賀麻呂の出身地はこの周辺である。滋賀郡は現在の滋賀県大津市にあたり、建部神社(建部大社)の存在も建部氏の居住の証となる[2]。
建部氏では2年前の天平宝字8年(764年)10月28日に、建部人上ら15人がやはり公から朝臣になっていた[3]。伊賀麻呂はこの賜姓に続いたものである。