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延年丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
延年丸
基本情報
建造所 (香港)[1]
艦種 砲艦[1]
艦歴
竣工 1868年[1]
就役 明治元年9月(1868年10月)に佐賀藩が購入[1]
その後 明治4年12月(1872年1月)に売却[1]
要目([1]による)
排水量 400トンから500トン(推定)[注釈 1]
トン数 積載重量トン:250英トン
長さ 全身長[2]:138(41.8m[3])
甲板幅[2]:24尺(7.3m[3])
吃水 9尺(2.7m[3])
推進 2軸
出力 100馬力
帆装 3檣トップスル・スクーナー
速力 7ノット
燃料 100,000
航続距離 燃料消費量:15,000斤/日
乗員 明治3年4月時:75名[2]
兵装 英式70斤アームストロング砲 2門
英式20斤アームストロング砲 2門
40ポンド・ブリーキリー銃 1門
12ポンド・ブリーキリー銃 2門
30ポンド・ホイートス銃 1門
明治3年時[2]
40ポンド・ブリーキリー銃 1門
12ポンド・ブリーキリー銃 2門
30ポンド・ホイートス銃 1門
その他 船材:
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延年丸(えんねんまる)は佐賀藩所属の軍艦[1]。3檣スクーナー形の木造蒸気砲艦[1]箱館湾海戦に参加した[4]

艦歴

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元は1868年香港で建造された砲艦で原名「カレドニア(Caledonia)」[4][3]明治元年9月(1868年10月)に長崎で佐賀藩が購入し、以後は肥前摂津越前の間を航海した[4]。 同年に新政府軍に徴発され[5]、 翌年の榎本艦隊追撃に参加し、 明治2年5月11日(1869年6月20日)に青森港から箱館に到着、当日の箱館湾海戦に参加した[6]。 その後残党掃討を行い、8月25日品海に凱旋した[7]

明治3年7月(1870年8月頃)に普仏戦争が勃発し、中立を守るために太政官は7月28日(新暦8月24日)に小艦隊3隊を編成、龍驤電流丸延年丸の3隻は中牟田武臣(龍驤乗艦)の指揮で長崎港に派遣された[8][9][10]。 翌明治4年3月7日(1871年4月26日)に警備は解かれた[11]

明治4年9月(1871年10月)に新政府(兵部省)への献納の申し出があったが砲のみが献納され、船体は同年12月(1872年1月)に伊万里で売却された[5]。 中川努「主要艦艇艦歴表」によると、その後解体された[5]。 『幕末の蒸気船物語』によると、郵便蒸気船会社の所属となった[3]。『日本郵船船舶100年史』によれば廻漕取扱所を経て日本国郵便蒸気船会社に移る[12]。日本国郵便汽船会社は1875年に解散し、保有船は政府が買い上げて同年中に郵便汽船三菱会社に下げ渡しており、その中に「延年丸」も含まれる[13]。また、その時の「延年丸」は倉庫船とされている[14]

1874年(明治7年)の駅逓寮所轄の艦船に延年丸の名前を見ることが出来る[15]

売却前は日本海軍籍であったとする資料もあるという[注釈 2]

艦長

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船将
  • 澤野虎六郎(種銭):函館湾海戦時[4][6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『幕末の蒸気船物語』による。それによると『佐賀藩海軍史』には排水量700トンとあるが、船体寸法に対して明らかに大きく、『日本近世造船史』では280トンとあるが、明らかに小さいとしている。
  2. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p210によると福井静夫『帝国海軍艦艇一覧表』(1952年)に「明治4年12月除籍」と記されているという。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h #佐賀藩海軍史(1972)p.257
  2. ^ a b c d #M3公文類纂8/諸藩艦船有無届(8)画像60
  3. ^ a b c d e 『幕末の蒸気船物語』p.43
  4. ^ a b c d #佐賀藩海軍史(1972)p.258
  5. ^ a b c 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.10、延年丸
  6. ^ a b #M1-M9海軍省報告書画像9、明治二年己巳 軍務官 兵部省、5月。
  7. ^ #M2公文類纂拾遺完/延年艦函館凱旋に付祝砲の件画像1
  8. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.7、明治3年7月28日(太政官)。
  9. ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻p.290
  10. ^ #M1-M9海軍省報告書画像13、明治3年7月。
  11. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.33、明治4年3月7日(御沙汰)諸港守備ノ軍艦ヲ解クノ件「兵部省 諸港守衛トシテ出張之軍艦解備被仰付候間帰艦之儀其省ヨリ可相達候事」
  12. ^ 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』31ページ
  13. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』12-13ページ。『七十年史』4-5、10ページ
  14. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』12-13ページ。『日本郵船船舶100年史』31ページでは郵便汽船三菱会社に移った後に庫船とされたとなっている
  15. ^ #M7公文類纂13/管轄(2)画像25

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『記録材料・海軍省報告書第一』。Ref.A07062089000。 (国立公文書館)
    • 『公文類纂 明治2年 拾遺完 本省公文/兵部省書類鈔録 延年艦函館凱旋に付祝砲の件弁官御届』。Ref.C09090024300。 
    • 『公文類纂 明治3年 巻8 本省公文 艦船部/諸藩艦船有無届(8)』。Ref.C09090108500。 
    • 『公文類纂 明治7年 巻13 本省公文 艦船部1/管轄(2)』。Ref.C09112102000。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻四の1』 明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 日本郵船株式會社(編)『日本郵船株式會社五十年史』日本郵船、1935年
  • 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
  • 秀島成忠/編『佐賀藩海軍史』 明治百年史叢書 第157巻、原書房、1972年12月(原著1917年)。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 元綱数道『幕末の蒸気船物語』(成山堂書店、2004年) ISBN 4-425-30251-6

関連項目

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