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廣瀬方人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

廣瀬 方人(ひろせ まさひと、1930年昭和5年)3月6日 - 2016年平成28年)1月13日)は、長崎の被爆体験を伝える語り部として活動した人物。長崎県長崎市出身。「原爆青年乙女の会」会長[1]。市民団体「長崎の証言の会」会長[2]代表委員。創成期の被爆運動を知る貴重な証言者であった。戦後になって洗礼を受け、洗礼名はヨゼフ。

人物

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1969年に「長崎の証言の会」が発足し、初代の事務局長となる。同年に秋月辰一郎医師らと「長崎の証言」を創刊した。被爆者から体験を聞き取り、70冊以上の証言集を出版した。英語や中国語訳にも取り組んだ。山端庸介が原爆直後の長崎で撮影した写真の中に、「おにぎりを持つ親子」がある。その親子が、戦後生きていたことを知り、面会取材して、「証言1990~ヒロシマ・ナガサキの声 第4集」に掲載した[3]。また、福島第一原子力発電所の事故の後で放射線の影響に不安を抱える福島県の高校生との交流を通して励まし続けた。2013年2月に「福島と長崎をむすぶ会」[4]の発起人となり、代表を務めた。同年10月に「長崎原爆の戦後史をのこす会」[5]を発足させた。

略歴

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動画・音声

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  • 長崎メディア・平和講座「伝えんば」2012年4月18日収録 第1回 被爆者運動の始まり 講師:廣瀬方人さん [1]
  • 長崎原爆被災者協議会廣瀬理事 "みんなカレンダー"を語る [2]
  • ETV特集 福島のメル友へ 長崎の被爆者から 2012年8月 [3]
  • 英語による被爆証言 2010/07/25 にアップロード
    • (1)長崎原爆投下にいたる経緯を語るA-bomb victims voice / Mr. Masahito Hirose - Part 1 [4]
    • (2)自分自身の被爆体験を語る A-bomb victims voice / Mr. Masahito Hirose - Part 2 [5]
    • (3)他の被爆者の状況について語る(谷口稜曄さん 他)A-bomb victims voice / Mr. Masahito Hirose - Part 3 [6]
    • (4)自分自身の親戚の被曝状況について語る。そして、自分の思いと平和への願い。A-bomb victims voice / Mr. Masahito Hirose - Part 4 [7]

出典

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参考文献

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  • 「証言1990~ヒロシマ・ナガサキの声 第4集」 長崎の証言の会編 汐文社
  • NHKスペシャル 長崎 よみがえる原爆写真 1995年発行。著者 NHK取材班 日本放送出版協会 ISBN 4-14-080231-6 C0020
  • 「証言2016 -ナガサキ・ヒロシマの声(第30集)」 長崎の証言の会 汐文社 2016年10月 ISBN 978-4-8113-0228-7 第2特集 追悼・廣瀬方人さん

外部リンク

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 長崎原爆の翌日(1945年8月10日)、山端庸介によって撮影された「おにぎりを持つ親子」の写真の男の子は、上田伸一 3歳、母はヲミ(ふみこ)29歳 だった(享年74歳)。  おにぎりを持つ少年(上田伸一)は、23才で結婚、鉄工所を立ち上げ、3人の子供、4人の孫に恵まれた。そして、2022年9月16日、肝臓がんのため80歳の生涯を閉じた。