広谷俊二
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広谷 俊二(ひろや しゅんじ、1913年10月18日 - 1982年頃)は、元日本共産党中央委員、社会運動家。
来歴
[編集]北海道小樽市出身。父敏蔵は小樽市議、伯父は衆議院議員などを務めた山本厚三[1]。弁護士廣谷陸男は弟。学生時代から社会主義運動に参加し、1932年検挙されて旧制第二高等学校を中退。翌1933年に日本共産党に入党し、日本労働組合全国協議会(全協)小樽地方協議会を設立する。同年の全協4.25事件で検挙され懲役3年6ヵ月の刑に処せられる。出獄後、サラリーマン生活をしていたが、一方で地下活動をしていたため1943年予防拘禁される。
戦後、日本共産党の再建に尽力し、小樽合同労組委員長もつとめた。この間、1947年と1949年、1955年の総選挙で北海道第1区から共産党公認で立候補したがいずれも落選している。
1950年代の党分裂時、軍事闘争を指導した志田重男の配下にあったという。1955年の日本共産党第6回全国協議会に、党北海道地方委員会委員として参加。1963年、党中央青年学生対策部[2]。
党内では中央委員になった。1972年におきた新日和見主義事件に関与した。
1977年党規律違反で除名された。晩年は生活保護を受けて暮らしていた[3]。1982年、糖尿病を悪化させ死去[2]。
著作
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 『査問』筑摩書房 (1997/12/20 出版)ISBN:9784480818089、のちちくま文庫2001/07
脚注
[編集]- ^ “海運と倉庫 山本厚三 « そば会席 小笠原”. www.ogasawara.oswb.net. 2020年11月21日閲覧。
- ^ a b 『査問』、1997年、p.129-137
- ^ 平田勝『未完の時代 1960年代の記録』p187 花伝社 2020年
- ^ 国立国会図書館サーチ