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広橋伊光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
広橋伊光
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 延享2年6月16日1745年7月15日
死没 文政6年4月4日1823年5月14日[1]
別名 号:勁松院
官位 従一位准大臣
主君 光格天皇
氏族 広橋家
父母 父:広橋勝胤、母:成瀬正幸の娘
兄弟 伊光東坊城益良
正室:代々姫(黒田継高の十女)
胤定竹屋光棣交野時雍七条信敬竹屋俊康南光度五条為徳室、
光子[2]
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広橋 伊光(ひろはし これみつ)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿広橋勝胤の子。官位従一位准大臣広橋家23代当主。家禄は850石。

経歴

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22代当主・広橋勝胤の子として誕生。母は成瀬正幸の娘。正室は黒田継高の娘・代々姫。

尊号事件では、議奏を務めていたため罪に問われ、寛政5年(1793年)に参内20日停止となった。享和3年(1803年)から文化10年(1813年)9月まで、武家伝奏を長く務めた。法号は勁松院。日記「勁槐記」を残した。

系譜

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脚注

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