広川王
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広川王(ひろかわおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。名は広河王とも記される。刑部卿・長田王の子。官位は従五位上・右大舎人頭。
経歴
[編集]光仁朝に入り、宝亀2年(771年)内礼正に任ぜられると、内兵庫正・大判事と京官を務める一方で、丹波員外介・備後守と地方官も兼ねた。宝亀8年(777年) 因幡守として地方官に転じる。
桓武朝の延暦元年(782年)右大舎人頭に補任されて京官に復し、延暦2年(783年)従五位上に昇叙された。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 天平神護3年(767年) 正月18日:従五位下(直叙)
- 宝亀2年(771年) 閏3月1日:内礼正
- 宝亀3年(772年) 4月20日:兼丹波員外介
- 宝亀5年(774年) 3月5日:備後守。9月5日:兼内兵庫正
- 宝亀7年(776年) 3月6日:大判事
- 宝亀8年(777年) 10月13日:因幡守
- 宝亀10年(779年) 2月23日:因幡守
- 延暦元年(782年) 9月9日:右大舎人頭
- 延暦2年(783年) 正月16日:従五位上