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広川王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

広川王(ひろかわおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族。名は広河王とも記される。刑部卿長田王の子。官位従五位上右大舎人頭

経歴

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天平神護3年(767年従五位下直叙される。

光仁朝に入り、宝亀2年(771年内礼正に任ぜられると、内兵庫正大判事と京官を務める一方で、丹波員外介備後守と地方官も兼ねた。宝亀8年(777年因幡守として地方官に転じる。

桓武朝の延暦元年(782年右大舎人頭に補任されて京官に復し、延暦2年(783年)従五位上に昇叙された。

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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  • 父:長田王[1]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:雄川王[1]

脚注

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  1. ^ a b 『日本三代実録』貞観元年10月23日条

参考文献

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