広島瓦斯電軌G形電車
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(広島電鉄200形電車 (初代)から転送)
広島瓦斯電軌G形電車 200形電車 | |
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200形201号(1940年頃) | |
基本情報 | |
製造所 | 日本車輌製造 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,435 mm |
車両定員 | 48(着席 不明)人 |
車両重量 | 9.40t |
全長 | 8,500 mm |
全幅 | 2,270 mm |
全高 | 3,499 mm |
車体 | 普通鋼(半鋼製) |
台車 | 日本車輌製造製 |
主電動機出力 | 20kW |
搭載数 | 2基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け式 |
備考 |
両数:10両 スペックデータ、各車状況は『私鉄の車両3 広島電鉄』および『広島の路面電車65年』pp.180 - 181に基づく |
広島瓦斯電軌G形電車(ひろしまがすでんきGがたでんしゃ)は、1930年に広島瓦斯電軌(後の広島電鉄)が新製した電車(路面電車車両)である。広島市への原子爆弾投下で被災したことより被爆電車でもある。
1939年に形式称号を200形と改め、1966年まで在籍した。
概要
[編集]1930年4月に201 - 210の10両が製造された、半鋼製車体を備える4輪単車である。
1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下で全車被災し、特に201号が紙屋町と千田町の間で、202号が広島駅で、203号が十日市周辺で、205号が紙屋町で被災し、全焼の被害を受けたが、1948年5月までに全車復旧された。
1963年4月に207が廃車となり、205は工作車(事業用車)へ転用された。残る8両は1965年以降順次廃車となり、工作車となった205を含め1966年3月までに全車除籍された。
除籍後は全車とも解体処分され、現存する車両はない。
原子爆弾による被害
[編集]車番 | 被災場所・状況 | 状態 | 復旧 | 備考 |
201 | 紙屋町と千田町の間で被爆 | 全焼 | 1948年2月 | |
202 | 広島駅で被爆 | 全焼 | 1948年3月 | |
203 | 十日市周辺で被爆 | 全焼 | 1948年5月 | |
204 | 己斐車庫に停泊 | 小破 | 1945年11月 | |
205 | 紙屋町周辺で被爆 | 全焼 | 1948年4月 | |
206 | 己斐車庫に停泊 | 小破 | 1946年3月 | |
207 | 専売局周辺で被爆 | 小破 | 1945年11月 | |
208 | 千田町車庫内で被爆 | 中破 | 1947年5月 | |
209 | 白島周辺で被爆 | 大破 | 1946年12月 | |
210 | 広島駅で被爆 | 大破 | 1946年2月 |
各車状況
[編集]車番 | 竣工 | 所属車庫 | 備考 |
201 | 1930年4月 | 1966年3月20日廃車 | |
202 | 1930年4月 | 1966年3月20日廃車 | |
203 | 1930年4月 | 1966年3月20日廃車 | |
204 | 1930年4月 | 1965年12月15日廃車 | |
205 | 1930年4月 | 1965年1月廃車 | 1963年4月に工作車へ転用 |
206 | 1930年4月 | 1966年3月20日廃車 | |
207 | 1930年4月 | 1963年4月廃車 | |
208 | 1930年4月 | 1965年12月15日廃車 | |
209 | 1930年4月 | 1965年11月15日廃車 | |
210 | 1930年4月 | 1965年11月15日廃車 |
参考文献
[編集]- 『広電が走る街今昔』(JTBパブリッシング・長船友則) ISBN 4533059864
- 『ヒロシマと路面電車』(広島市子供文化科学館) 配付資料
- 『私鉄の車両3 広島電鉄』(保育社・飯島巌) ISBN 4586532033
- 『広島の路面電車65年』(毎日新聞ニュースサービス社・広島電鉄)
etc