幾世橋村
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きよはしむら 幾世橋村 | |
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廃止日 | 1953年10月10日 |
廃止理由 |
新設合併 幾世橋村、浪江町、請戸村 → 浪江町 |
現在の自治体 | 浪江町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 福島県 |
郡 | 双葉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,620人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
双葉郡:浪江町、請戸村、苅野村 相馬郡:福浦村 |
幾世橋村役場 | |
所在地 | 福島県双葉郡幾世橋村北幾世橋字羽場3 |
座標 | 北緯37度29分48秒 東経141度00分56秒 / 北緯37.49661度 東経141.01556度座標: 北緯37度29分48秒 東経141度00分56秒 / 北緯37.49661度 東経141.01556度 |
ウィキプロジェクト |
幾世橋村(きよはしむら)は、1953年まで福島県浜通りに存在していた村。1896年以前は標葉郡、1896年以後は双葉郡に属した。現在の浪江町北東部にあたる。
地理
[編集]- 河川:請戸川
歴史
[編集]もとは泉田村と称していたが、宝永7年(1710年)に村内の北原御殿にて隠居していた中村藩第5代藩主・相馬昌胤が、和歌の師である中院通茂から贈られた「跡たえし ながらもあるを 幾世橋 いくよかわらず ふり残るらむ」という歌にちなんで幾世橋村へと改名した。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、北幾世橋村・南幾世橋村・棚塩村の計3か村が合併して新制の標葉郡幾世橋村が発足。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 標葉郡と楢葉郡が合併して双葉郡が発足。双葉郡幾世橋村となる。
- 昭和28年(1953年)10月10日 - 浪江町・請戸村と合併し、新制の浪江町となる。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 紺野芳綱 | 明治22年(1889年)7月6日 | 明治26年(1893年)7月5日 | |
2 | 渡辺長綱 | 明治26年(1893年)7月6日 | 明治42年(1909年)7月5日 | |
3 | 志賀孝蔵 | 明治42年(1909年)7月22日 | 大正2年(1913年)7月21日 | |
4 | 佐藤清蔵 | 大正2年(1913年)8月28日 | 大正8年(1919年)8月30日 | |
5 | 紺野芳綱 | 大正8年(1919年)10月30日 | 大正11年(1922年)1月18日 | 再任 |
6 | 高木久五郎 | 大正11年(1912年)12月27日 | 昭和元年(1926年)12月28日 | |
7 | 志賀一郎 | 昭和2年(1927年)5月18日 | 昭和21年(1946年)11月29日 | |
8 | 坂本亀治 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和26年(1951年)4月5日 | |
9 | 横山仁作 | 昭和26年(1951年)4月23日 | 昭和28年(1953年)10月9日 |
教育
[編集]- 幾世橋村立幾世橋小学校
- 幾世橋村立幾世橋中学校
参考文献
[編集]- 『浪江町史』(福島県双葉郡浪江町、1974)
- 『浪江町近代百年史』第一集(浪江町郷土史研究会、1984)