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平糸駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平糸仮乗降場から転送)
平糸駅
プラットフォームと駅舎(1989年3月)
ひらいと
Hiraito
春別 (6.1 km)
(5.5 km) 別海
所在地 北海道野付郡別海町別海
北緯43度25分57秒 東経145度5分40秒 / 北緯43.43250度 東経145.09444度 / 43.43250; 145.09444座標: 北緯43度25分57秒 東経145度5分40秒 / 北緯43.43250度 東経145.09444度 / 43.43250; 145.09444
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 標津線(支線)
キロ程 18.2 km(中標津起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1961年昭和36年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)4月30日[1]
備考 標津線廃線に伴い廃駅
テンプレートを表示
1977年の平糸駅と周囲約500m範囲。上が中標津方面。道路から林を通り抜けて駅へ続く小道がある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
別海町鉄道記念公園に保存される駅名標
令和2年7月現在の様子

平糸駅(ひらいとえき)は、かつて北海道野付郡別海町別海に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線である。標津線の廃線に伴い、1989年(平成元年)4月30日に廃駅となった。

歴史

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駅名の由来

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地名より[5]アイヌ語の「ピラエトゥ(pira-etu)」(崖・鼻)に由来するとされる[2][6]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。ホームは鉄骨製コンクリート床の簡易型で、構内の西側(中標津方面に向かって左側)に存在した。

また、中標津側に有ったホームへの階段近くには待合室が置かれていた。

駅周辺

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利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 3 [7]

現況

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廃駅後も簡易ホームや待合室は撤去されずに残されていたが、その後待合室は完全に倒壊し、簡易ホームも草木に覆われて放置された状況であった。2020年、地域おこし協力隊員が中心となり、草刈りや駅名標復元などの整備が行なわれた。2023年5月には別海町歴史文化遺産第18号に指定され、同じく歴史文化遺産に指定されている上春別駅跡や光進駅跡とともに見学者の増加が期待されている[8]

隣の駅

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北海道旅客鉄道
標津線(支線)
春別駅 - 平糸駅 - 別海駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、928頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b c 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 183. ISBN 4-89391-549-5 
  3. ^ 「日本国有鉄道公示第137号」『官報』1967年3月20日。
  4. ^ 「通報 ●新駅の設置について(営業管理室)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1967年3月20日、2面。
  5. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、170頁。NDLJP:1029473 
  6. ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 78. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 
  7. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、918頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  8. ^ 旧国鉄標津線平糸駅跡 別海町役場 2023年6月30日閲覧

関連項目

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