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平林治徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平林 治徳(ひらばやし はるのり、1889年1月21日 - 1959年12月2日)は、国文学者

愛知県出身。旧姓・佐藤。東京帝国大学国文科卒。第八高等学校教授、女子学習院教授、学習院教授、1924年大阪府女子専門学校教授、28年校長。戦後1949年学制改革で大阪女子大学学長。校長時代、生徒[1]谷崎潤一郎の手伝いをした関係もあり谷崎と親しかった。

著書

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  • 『新国文大綱詳解』巻1 教育図書出版社編纂 立川書店、1928
  • 『新国文大綱備考』全10 立川書店 1928-29
  • 『女子国文大綱備考』全10 立川書店 1930-31
  • 『日本女性の書』積善館、1939
  • 『古事記』至文堂 1943 青少年日本文学
  • 『講話源氏物語』積善館 1946-47
  • 『大鏡』至文堂 1953 物語日本文学
  • 『学長余瀝 故平林治徳先生記念文集』編者代表: 松本静子 書肆イカロス 1971

共編著・訳

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  • 『謡曲狂言』編 中興館、1921
  • 『現代文学大綱』巻1-2 編 立川文明堂 1926
  • 『徒然草』編 中興館、1927
  • 『国典大綱』共編、明治書院、1942-43
  • 『日本説話文学索引』石山徹郎,境田四郎共編 日本出版社 1943
  • 三田浄久』編著 大阪女子大学国文学研究室 1954
  • 黙阿弥名作集』訳 至文堂 1954 物語日本文学
  • 『日本文学史通論』編 新元社 1957

脚注

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  1. ^ 英文科の、第1回卒業生の武市遊亀子、第2回生の高木治江(旧姓・江田)。それに、谷崎の二番目の夫人となる古川丁未子も第2回(病気で1年留年した結果)の卒業生。

参考

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